八上比売を嫁にもらう(4)
絶世の美女として古事記に登場する八上比売(ヤガミヒメ)。見事彼女との婚約を果たしたのは大国主命。しかし、大国主命は、この美女の夫の座を狙っていた兄弟(八十神)の恨みを買うことに。
格付け急上昇
「本日は、ありがとうございます。今宵このまま宴を続けるも、お休みになるも自在でございます。お休みの折にはお部屋へ案内させていただきます故、お申し付けください」
すっかり陽が沈み、宴会場には煌々と明かりが灯された。ヤガミヒメと大国主命は酌をしながら席を回った。ほとんどの者が既に酔っていたが、誰一人として休むという者はいなかった。当代きっての美女が酌してくれるのだ。抗う術などあろうはずがない。
「剛の身体に見目良い面構え。姫のお相手として申し分ない」
北の国の宰相は満面の笑みを大国主命に向けながら、ヤガミヒメの酌を受けていた。婚約宣言の後、会場は大いに盛り上がり、ヤガミヒメと大国主命は、披露宴さながらに来賓の席を回り酒を酌み交わしていた。
「いや、めでたい。次は婚姻の儀であるな」
「お忙しいのに、申し訳ありませぬ……」
ヤガミヒメがそつなく答えた。
「末弟にて未熟と聞いておったが、まつりごとの舵取りなかなかではないか。あの術師のウサギ一族を懐柔し、ヤガミヒメと盟友となるように差配したとか」
「ええ、大国主命様のおかげで、この国も一層の安寧が得られました」
「我が国との友好も一層のものとしてゆこうぞ」
「ありがとうございます」
深々と礼をしたヤガミヒメと大国主命。次に二人に声をかけたのは、南隣国の長。
「ヤガミヒメ、大国主命! めでたいのう!」
「ありがとうございます」
「大国主命よ、我ら南国とヤガミヒメとは盟邦関係を続けてきた……」
「そうなのです。先祖代々そしてこれからも永遠に盟邦ですわ」
「おかげで、我が国も長きに渡り戦も乱も遠ざけることができた。が、最近、遥か西方、海を超えた地からの使者が、山地に住まう山豚の一族と接触しているようなのだ。山豚族は叛逆を繰り返しており、何度も成敗を試みているのだが、なんとも強靭で……」
南隣国の長はグイッと酒を飲み干した。少し離れたところにいた三郎ウサギが、山豚の話題を耳に、そそと寄ってきた。
「それならば心配に及びませぬ。大国主命様、そしてヤガミヒメ様の守護となった我々ウサギ族はサメ族と結び、南の山の山豚族を退治する算段を立てております。奴らは時折こちらでも盗みを働いたりと、悪行を働いております故……」
「そうか! それならば話が早い。山豚族を滅してくれたら、かの山の半分をそちらの領土とするがいい」
「安きことです。我らウサギ族が力添えする限り、この地と近隣盟友国に至るまで平らかな安寧が続ことでしょう」
「それは、それは。心強い!」
「では、近く頃合いで、山豚一族を滅してみせましょう」
「頼んだぞ、ウサギ族の者。ヤガミヒメよ、これも大国主命の御力であろう。末長く幸せにな」
「ありがとうございます」
ヤガミヒメは笑顔をかえし大国主命と共に頭を垂れた。三郎ウサギも深く一礼を残して会場の隅へと移動した。ヤガミヒメと大国主命も、一息入れようと控えの間に忍んだ。
結婚の約束
「ふぅ」
「お疲れですか? 大国主命様」
「ええ、少し。なにせ全てが突然で、全てが初めてで……。今朝ほどまで、兄さんたちの荷物持ちをして、使いパシリをして、気に食わぬことがあれば殴られ、蹴られ、トラブルの後始末、尻拭いばかりしていたのが、今は神王の如き扱いを受けているのですから、戸惑いますよ」
「私もです。本気で笑ったのも、お酒の味を感じたのも久しぶりです。交渉、駆け引き、嘘偽り、謀、決断、言い訳、取り繕い、叱咤……。父が死に、跡を継いでから、私は心根を鉄の箱に閉ざして、この地を安く治めることに徹して参りました。そして、八十神様からの求婚があることを知り、神様の血縁となることは大きな利となると、いかなる形でもお受けしようと……」
ヤガミヒメは大国主命にグラスを渡し酒を注いだ。
「ですが、八十神様の、あなたの兄様方の素性を聞くにつれ不安が募っていったのです。驕り高ぶり、欲しいものは手段を選ばず手に入れ、北の離れ島など、住まう者の口ごたえを理由に焼き払い、島を焦土としたとか。東の地では逆らう一族を殺戮したとか」
「確かに、兄上たちは神の威光を笠に傍若無人を……」
「それで、神の縁戚でもある叔母に相談したところ、末弟だけは真っ当であると教わったのです。優しい心根を持ち、自らを制して他者を想うことができる傑人であると」
「いや、いや、何もできない愚人ということで……」
「いいえ、焦土となった地に通い樹々を植え続けた、滅された一族の幼子を隣国へ渡し守った等など、叔母の話を聞くうちに、私は大国主命様にすっかり惹かれてしまったのです。そして、大国主命様の心根の美しさがこの国を繁栄へと導くと信じております」
「なんとも大仰な……。しかし、姫、私は、姫とこの地のためにあらん限りを尽くす所存だよ」
「なんともありがたいお言葉。大国主命様、クニ様と呼ばせていただいても?」
「もちろんだ、好きなように呼んでくれ」
「ああ、クニ様……。改めて申します。不束な女でございますが、大国主命様の妻として置いていただくことを、どうぞお許しください」
「ああ、姫よ。結婚とは契りであり血の義理だ。肉体を重ね血を合わせ、互いの正義と理りを合わせ、血の繋がり以上の縁を育む。そういう契りだと私は思っているよ。姫とこの契りを結ぶことを約束するよ」
「クニ様……、嬉しい……」
「さて、会場に戻るか」
「ええ、もう少し頂きたい心持ちです。今宵の酒は、格別に美味しゅうございますから」
怒りを押し殺す
いずれの席も、語り歌い、中には踊りを披露するものもいた。が、八十神達だけは静かに、詮方なさに途方に暮れ、黙々と酒を飲み続けていた。
「とりあえず、今は兄さんの帰りを待つしかあるまい」三男が言い終わるとほぼ同時に、長男が席へ戻ってきた。三男は口早に問いだした。
「い、今まで、いったいどこに!? 大変なことになって……」
「ああ、すべて承知だ。大方外で聞いていた」
「ヤガミヒメとクニを痛めつけて、この地の全権を渡すよう命じるか?」
「いや、無理であろう。クニ、そしてヤガミヒメにはウサギ族とサメ族がついた。もはや我々の言いなりにはなるまい」
「サメ族が!?」
「あのウサギが我らの宝物を使ってサメ族を懐柔したようだ」
「あの野郎!」
「ただでは済まさぬ!」
次男と五男は怒りを顕にしたが、三男が嗜める。
「静かにしろ! 兄様の話を聞け!」
長男が続けた。
「イキるな、奴らは術師だ。まともにやり合って勝てるかどうか。我々が奴を騙したという弱みもある。正義を振り翳しサメ族以外にも与する者が出てこないとも限らぬ。クニとて、末弟だからと下僕のように扱ってきたが、一国の主という立場になれば、他の神々も注視するであろうし、万が一の時にスサノオ様が出てこないとも限らん」
「スサノオ様……」
三男はその名に身震いしながら長男を見つめた。
「いずれにしても、ここで悶着を起こすのは得策ではない。とにかく部屋へ」
長男は立ち上がり、ヤガミヒメを認めると、兄弟を引き連れ歩み寄った。
「姫よ、我々はひとまず部屋で休ませてもらう。明日朝早くに旅立つつもりだ。もう用もないのでな。故に挨拶を交わさぬまま出立する非礼を許してくれ。では、二人仲睦まじく暮らすことを祈っておるぞ」
「お兄様方も……」
「お兄様だと! まだ認めてねぇ……」
「やめろ! すまないヤガミヒメ。此奴は少し飲みすぎたようだ」
五男は鬱憤を吐き出すように叫んだが長男が制し、八十神たちはゾロゾロと離れの部屋へと向かっていった。
深く頭を下げ見送ったヤガミヒメと大国主命。離れたところからその様子を見つめていたベンウサギと三郎ウサギは、何かあればいつでも相手になるぞとばかり仁王のような体勢を整えていた。去っていく一同を眺めながら4人は一先ず安心と緩んだが、このままでは済まぬだろうとの恐れは消えなかった。
(続)
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