継続の絶対性と瞬間の絶対性
私の祖父は画家、父は写真家だった。
二人の作品への取り組む姿勢は、祖父は「継続」、父は「瞬間」だった。
祖父の絵に対する考えは、その絵描こうと思った時の心情を、いかに完成まで持ち続けるかが重要だったらしい。
一方、父の写真に対する考えは、とにかく瞬間だった。とにかくその瞬間は今しかない、だからシャッターを押し続けていた。
今でこそデジタル化され、カメラではなくスマホでも撮れる様になり、撮ったその場で写真の確認ができるが、昔はフィルムだったので現像が上がってこない限りその結果は分からなかった。
その昔、フィルムに日付けが入る機能が備わり、その機能を父は面白がって「私の365日」と題して365枚の写真を展示した展覧会を2回ほど行った。
その当時、ニュースでも取り上げられる様な写真展だった。写真展だけでなく、引き続き亡くなる三日前まで写真を毎日撮り続けていた。
その頃から考えると、今のFacebookやInstagram等ができ、写真を撮って発表できる様になるとは夢にも思っていなかっただろう。
父は、365日の写真とは別にイタリアのジェンツァーノで行われるインフィオラータと呼ばれる花祭りに30年近く通い続けた。
その結果、ジェンツァーノから名誉市民の称号を授かった。2013年のことになる。
そのことを考えると、「瞬間」だけでなく「継続」としての写真のあり方だったのだと思う。
私も父と一緒にジェンツァーノに二度行った。
イタリア語も、英語すらも話せない父だったが、多くの人達とカメラを通して会話をしていた。
私自身は2015年9月にくも膜下出血で倒れ、高次脳機能障害と呼ばれる障害を負ってしまった。
その障害はいろんな症状があり、私は特に記憶障害が重く出てしまい、半年の入院していた時の記憶はほぼない。退院後、徐々に回復してきて今に至る。
2017年に父が他界し、私も回復してきたので2019年のインフィオラータに行き、市の人たちに父の死を報告しに行ってきた。
父を知る多くの人たちが父の死を残念に思ってくれ、私を花絵作りに誘ってくれた。
そして父がしてこなかった花絵作りをした。
写真から広がる世界もある。
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