春の野草を摘む時

 近くに山のある環境で育った私は,春になると山菜採りを子どものころ経験した。野イチゴやぐみはその場で味わえるし,ワラビなどは家に持ち帰って母や祖母が佃煮にしてくれた味を忘れられない。勤め先も,なぜか山に近いところが多く,生えているのを見つけるだけでもうれしくなる。今年の春は,どこも外出自粛なのだろうか,私は少しさびしい職場の近くで野草を摘んだ。

 スーパーは買い物客でいっぱいだ。出来合いの惣菜やレトルト食品や冷凍食品,それに即席ラーメンは品薄に思える。またホームセンターで夏野菜の苗を買って家庭菜園を楽しむ人も増えている様だ。多くの世代が,このように野草とは無縁の食生活を送る人が増えている。子どもも,野草の味は想像できないのだろう,だって親が食べないのだから。

 食事は家族文化の典型的なものだと思う。非行少年や,児童養護施設の子どもたちは,そういう味を知らない。また矯正施設や養護施設の職員も同じだ。だから家庭の味を知らない者同士が,疑似家族を作り,癒し合い励まし合って支え合っている。COVID19の感染でDVや児童虐待の被害者は逃げ場を失った。せめて,そんな人たちに野草の味を知ってほしい。そして,やり場のない辛さも,ほろ苦い野草の料理で少し和らげてほしいと思う。疑似家族であれ,人が人を支える社会の仕組みは文化的な豊かさをもってほしいと思う。

 そして,人が人を支える社会の取り組みや仕組みに関心のある人も,雑草に映るその野草を味わってみてほしい。いま,人と人の接触を減らすことで感染防止を目指すキャンペーン中だが,このような味に込められる思いは,少しでも人が人を支えるような営みを彩ってくれると私は信じている。

 

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