見出し画像

転ばぬ先の杖

中学や高校生の人と話していると、
全く知らなかった近世のことを、教えてもらえる。

推しとのデートシステム 
K-POPのいま
既存のネットショップを使った貢ぎのシステム
リストカットをパワーに変えて敵を倒すキャラが活躍するアニメ 

ひと昔前にはなかった驚くようなパラレルワールドの中で、
流石に大丈夫かしら騙されているのではないかしら、
ハラハラドキドキ『おとなとして提言しておくべきこと』に一瞬ばかり思い馳せ、

『あなたのためだから』という言葉の下に、
なにかのドラマのワンシーンみたいなネガティヴワードが頭に浮かぶ瞬間も。
(絶対言わないけど)

そんなときに出来ることは、
命や犯罪の危険性を、一緒にとことん現実検討&シュミレーションすることと、
その結果、本人の想いの確かさを確かめること。

本人の挑戦したい心の在り様を信じてみることと、
保護者や周りの理解を得るための、
コミュニケートの練習や工夫を一緒に試行錯誤してみること。

その過程で、周りの理解が得られなかったり、
本人が諦めたり、リスクに気付いて
挑戦が未然に終わっても、できても、
そして結果が伴っても、伴わなくても、

その挑戦までのプロセス自体が本人に本当に必要な体験であるかどうか、あったかどうかは、あることになるかどうか、は、
『現在一点の善し悪し』で判断できることじゃない。

『無駄』とはなにか。
『結果』とはなにか。

人は、アスレチックコースという『体験』や
カラオケという楽しみの『体験』にも、
お化け屋敷やジェットコースターという恐怖や不安や興奮という『体験』にもお金と時間とエネルギーを注ぐ。

最大のリスクをシュミレーションした上で
それでも本人が挑戦を望む時、

傷つくという体験や
失敗するという体験、
失恋して騙されてしまったという体験、
回り道してみるという体験を、
無駄なこととして他者が自分の責任において奪えるのか。

そしてたぶん、遊びやエンターテイメントの世界と、
本物の人生、『現実』と呼ばれるものの明確な境界はないのかもしれないのだから。

・・・

昨日のしんどさは今日の幸せに、
あの日の悲しみや寂しさはこの日のために、
こどものころのトラウマがおとなになってからの才能に、

過去と現在と未来で、
物事は変わりゆく。

目の前の人から、体験すること。
選択し、挑戦するということのプロセスを、
誰しも本当の意味で奪うことはできない。
命ほど大切な人であっても。

そんなことを思う日だった。

いいなと思ったら応援しよう!