優しさって「知識」だ
「好きなタイプは優しい人です」「この煮物は優しい味付けだね」
「お肌に優しい成分がたっぷりです」などなど、
「優しい」という言葉は当たり前に日常に溶け込んでいます。
柔らかくて温かみがあって、形はちょっと丸っぽく、色は淡い暖色系。
なんとなくですが、「優しい」という言葉が持つイメージっておよそこんなところですよね。
私自身、「他人に対して優しくある」というのが人生を通して大事にしたいことでもあるのですが、
「優しい」という言葉はあまりにも身近に溢れているために、
「優しさって一体何なのだろう?」としっかり考えたことはあまりないのではないでしょうか?
「優しい」という概念は色んなものに対して使われますが、
今回はその中でも「人に対する優しさ」について書いてみたいと思います。
<佐賀のがばいばあちゃん>
『佐賀のがばいばあちゃん』という小説をご存じでしょうか。
20年くらい前に流行った記憶があるんですが、お笑い芸人の島田洋七さんがご自身の少年時代について、当時育ててくれた祖母(がばいばあちゃん)を主題にしてお書きになった小説です。
超が付くほどの貧乏ながらも、知恵と人情で逞しく生きるがばいばあちゃん。そんながばいばあちゃんと周囲の大人たちに支えられながら成長していく洋七少年の、笑いあり涙ありのハートウォーミングな物語で、個人的に非常にオススメの一冊なんですが、
その中に、毎年の運動会の日に決まって起こる「とある出来事」について書かれたところがあります。その「とある出来事」って言うのがすごく優しさに溢れたものなんですね。
運動会の日は、友達がみんな家族で豪華なお弁当を食べているのに対し、
ばあちゃんと二人暮らしで、そのばあちゃんが運動会に来れないために一人ぼっちの貧乏な洋七少年は、いつも通りの質素なお弁当を隠れるように一人で食べていました。
すると担任の先生がやってきて、
「腹が痛い。お前の弁当に入ってる梅干しが腹痛に効くから、俺の弁当と取り替えてくれ。」と言って、豪華なお弁当を洋七少年に渡すんですね。
洋七少年は「珍しいこともあるもんや」くらいにしか思わず、それに対して特に感謝することもありませんでした。
しかもなぜか毎年運動会の日になると、決まって担任の先生がお腹を壊し、「弁当を取り換えてくれ」と言ってくる、ということが続きました。
もちろん担任の先生は実際にお腹が痛くなったわけではなくて、
これは洋七少年を気遣った優しい嘘です。
洋七少年がこの話をがばいばあちゃんにしたところ、
「アホ、それは先生の優しさや。本当の優しさっていうんは、相手に気づかれずにするもんや」
と言われて、洋七少年はハッとします。
"相手に気づかれないようにするのが本当の優しさである"
この言葉はまだ小学生だった私に深く突き刺さりました。
スマートに、恩着せがましくなく、そして相手に気づかれないようなやり方で他人に優しくできる。それって純粋にカッコいいなと思っていて、その後私は「相手に気づかれずに優しくする」というのを実践してみようとするわけですが、これけっこう難しくてなかなかうまくいきませんでした。
空回りしたり、かえって相手を困惑させてしまったりしちゃってたんですね。
バスで席を譲るだけなのに「気づかれないように席をうまいこと譲らねば…!けどやり方がわからぬっ…!」と、滑稽な葛藤をしているうちにタイミングを逃してしまう、みたいなことを何度も経験しました。
そうした経験の中で「あぁ、優しさって"気持ち"だけではだめなんだな」と思うようになっていきました。
<ちょうどコーヒーが飲みたかったんだよ>
「他人に優しくあるためには、気持ち以外に何が欠けているんだろう?」
と、その後も答えがなかなか見つからなかったんですが、
その答えを教えてくれたのは、学生の頃にバイト先のカフェに訪れたサラリーマン紳士でした。
私が働いていたカフェでは、食後のドリンクが付いている「日替わりランチセット」が人気だったんですが、その食後のドリンクというのが、コーヒーか紅茶を選べるシステムになってたんですね。
そしてその日はいつにも増して忙しく、あたふたしてた私は、同僚さんと二人で来ていたサラリーマン紳士のドリンクを間違えて持って行ってしまったんです。
同僚さんはコーヒーを、サラリーマン紳士は紅茶をチョイスしていたのですが、私は笑顔で「食後のコーヒーでございます」とコーヒーカップを二つテーブルに置きました。
すると同僚の方が「あっ、ちがっ...」と言いかけ、その瞬間私も注文受けた瞬間のことがフラッシュバックし、
「あっ、しまった…!」とオーダーを間違えたことに気づきました。
その瞬間、サラリーマン紳士が同僚を手で制し、
「いや、すごいよお兄さん。俺さ、ちょうど『やっぱりコーヒー飲みたいな』と思っててさ。お兄さん呼んで紅茶からコーヒーに変えてもらおうかなと思ってたところだったんだよ。」と笑顔でさらり。
「まじすか!ラッキー!」とはなりませんでした。
私は温かい気持ちに包まれていました。
なぜなら、それは決して偶然なんかじゃなく、
彼の「優しさ」だとわかったからでした。
彼は「相手に気づかれないようにするのが本当の優しさ」という、がばいばあちゃんの教えを見事に体現していたのでした。
<優しさにまつわる理想的な形>
このサラリーマン紳士の例を見て、
「...ん?あれ?でも相手に気づかれてるじゃん」と思ったかもしれませんが、ここが少しややこしいところで、
「相手に気づかれないように施された優しさに、ちゃんと気づいてあげられること」が重要で、これこそが理想的な形だと思っています。
なぜなら、洋七少年の運動会のお弁当のエピソードも、がばいばあちゃんが「それは先生の優しさなんやで」と洋七少年に諭さなければ、洋七さんはそれを単なる「不思議な出来事」として片づけてしまっていたでしょう。
けれど、がばいばあちゃんのおかげで先生たちの優しさに気づけた洋七さんは、当時の先生たちに感謝したでしょうし、その後そのエピソードを書籍にのせ、多くの読者に届けることができました。
それによって、このエピソードの当事者である洋七さんはもちろんのこと、書籍の読者である私たちも、今後どこかで、まだ見ぬ「洋七少年」に出会ったらきっと同じように優しさを届けられるはずです。
なぜなら、「この場面ではこうすれば良い」という『優しさの形』を"知識"として持っているからです。
運動会の日に一人で寂しく質素な弁当を食べている子がいれば、
「おかず分けてあげるよ」でも「みんなで食べればおいしいよ」でもなく、
「すまん、俺は腹が痛いからその弁当と取り換えてくれ」と言って豪華な弁当を渡して、横に座って一緒に食べてあげればいいんです。
お店でオーダーしたものを店員さんに間違えられたら、
「頼んだものじゃありませんが、別にいいですよ」でも、
「作り直すの待ってるので、間違えたの気にしないでください」でもなく、
「実はこっち頼めばよかったと後悔してたんすよ。いやぁラッキーです。」と言って、「忙しいけど頑張ってね」と背中を押してあげればいいんです。
こうしたことをとっさに導き出せる人はそういないと思います。
しかし、知識として知っていれば対応できます。
そして、受け取った側もその知識を持っていれば、
「あ、これは気づかれないように優しくしてくれているな」と分かり、
お互い温かい気持ちになります。
このように、優しさはその形を知っておくことで上手に発揮でき、
また知識として知っていることによって多くの人から受け取れるようにもなります。
優しさは「知識」です。
それは確実に周りに伝播していき、循環して大きくなっていきます。
そして、いつかきっと、自分に還ってくるはずです。
<優しさについてまとめた本は存在しない(はず)>
いつか、「知識」としての優しさについてまとめて、一冊の本にすることが私のひとつの夢です。
もしこの記事読んで「こんな優しさの形もあるよ」という知識をお持ちの方は、ぜひコメントで教えていただけると嬉しいです。
それではまた。