孤独という猛毒
「THE GOOD LIFE」という本がある。
ハーバード大学医学大学院の精神医学教授であるロバート・ウォールディンガー氏と、ハーバード成人発達研究の副責任者でありブリンマー大学の心理学教授であるマーク・シュルツ氏によって書かれた「幸福研究」についての本だ。
史上最長の84年にわたる研究から導き出された「健康で幸せな人生を送る鍵」について、その一切が記されている。
結論を一言で述べると「幸福の鍵は”良い人間関係”にある」ということになる。以上。実にシンプルである。
しかもこれが単なる思いつきや自分の経験則から来る主張ではなく、
長年の幅広い追跡調査によって、被験者たちを小さい頃から晩年までの”人生全体”を通して様々な観点から定点観測しつづけた、というところが他に類を見ない点であり信頼度が高い。
もちろん「人間関係以外のことは重要でない」というわけではないが、いついかなるときも、人生を通して途絶えることなく重要であり続けた因子が「良い人間関係」だったというわけである。つまり良い人間関係が良い人生の土台を形成していることはおよそ間違いないということである。
本書を通して、「良い人生には人間関係が重要である」ということを示すさまざまな研究やデータが紹介されていくわけだが、これは裏を返すと「孤独がいかに人生に悪影響を与えるか」というテーマでもあるわけである。
ということで、今回は本書を通して読み取れた「孤独がもたらす悪影響」についてまとめてみようと思う。
<そもそも孤独とは?>
本書ではっきり述べられているのが「知り合いの数やSNSでの繋がりの多寡は孤独感に直結しない」というものだ。
生活環境や配偶者・パートナーの有無についてもそうで、結婚してても孤独な人はいるし、たくさんの人に囲まれてても孤独を感じる人はいる。逆にたった一人の信頼できる友人が孤独感を打ち消してくれることもある。
そういえば以前友人が「人の数は多いのに、東京が一番孤独だ」と言っていたのを思い出した。「一人だけど独りじゃない」みたいなコピーもあった。言い得て妙である。
つまるところ簡単な話、問われるのは”質”だ。
心の通った人間関係のなかで生きれているかどうかである。
自分は愛されているという感覚、守られているという感覚、必要とされている感覚、これらがない状態が概ね「孤独」と定義される。
どれほど社会的な人脈やコミュニティの繋がりがあったとしても、SNSでのフォロワーが何万人もいても、それらは直接的に孤独感を打ち消してくれるものではないということである。
<孤独がもたらす毒①:短命>
食べ物を食べると脳が喜びを感じるのと同様、他者とのポジティブな交流をした際にも脳は反応して、幸福ホルモンと言われるオキシトシンやエンドルフィンを分泌する。「Yes!Give me more!」といった感じである。
逆にネガティブな他者との交流は「今は危険だ」というメッセージとして脳に伝わり、アドレナリンやコルチゾールといったストレスホルモンを分泌させる。いわゆる「闘争・逃走反応」というものだが、これが体を蝕む。
生理学の権威であるハンス・セリエ博士のストレスに関する文献でも述べられていたが、特に慢性的にこのストレス状態にさらされている人は、さっとここに表記できないほどさまざまな悪影響があり、完全なる負のループに入ることがわかっている。
当然、病気に罹りやすいし、肉体や脳、神経系の衰えも早い。結果的に短命になるというわけだ。
<孤独がもたらす毒②:他人と比較して落ち込む>
人間関係をおろそかにして、お金や仕事の成果、社会的地位などを得ることに奔走している人は、自ずと他人との比較をしてしまう。というより比較が前提になってしまっている。
比較すると必ず自分の劣っている点や足りないところに目がいく。そして「あの人はこんなすごいのに、自分はダメだ」と落ち込んでしまう。
さらに面白いのが「他人と比較すればするほど幸福度は下がる」というのはなんとなくわかるが、「たとえ比較した結果自分の方が優位だと感じたときでも幸福度は下がる」ということが研究によって示されているという点である。どっちに転んでもダメ。逃げ場なしである。
良い人間関係を築けている人は現状に満足感を覚えやすく、さしあたり自分が生きている人生に不満がない。ある意味、良くも悪くも他人の人生なんか知ったこっちゃないというわけだ。
だからそもそも他人と比較する機会が少ないし、そうした機会にさらされても「まぁ別に自分も幸せだし、いっか。」と特に気に留めない場合が多いというわけである。
<孤独がもたらす毒③:幸福感を感じにくい>
人生は、程度はあれど山あり谷ありである。いいときもあればうまくいかない困難なときもある。紆余曲折するのが当たり前。
そんな人生のなかでの細かい出来事や経験にフォーカスすると、個々人で大いに差が出る。事故で両足を失う人もいれば、宝くじが当たって一夜にして大金持ちになる人もいる。一見すると前者はその後長きに渡り不幸な状態をもたらし、後者は逆に長く幸福感を得られるように見える。
が、全ては収斂する。時間の経過とともに、”0”のフラットな状態に戻るということだ。つまり人生に起こる細かい出来事は異なれど、そこから得られる幸福感には限りがあってどれも長くは続かない。
しかしながら、そこに良い人間関係が加わると話が変わる。
同じ経験でも、純粋にそれを共有したいと思える相手がいるかどうか、一緒に喜びを分かち合える人がいるかで、そこから得られる幸福感には差が出る。持続性も違う。
例えば、学生時代の友人なんかと定期的に集まるといつも同じ話で盛り上がる、なんてことがあるのではないか。これは一つの経験が、良い人間関係によって何度も幸福感に浸らせてくれるものに昇華したいい例である。
少し話が逸れるが、私はときどき一人で旅に出る。
見知らぬ土地を一人で訪れ、見知らぬ人と話す。これが何となくだが、自分の感性が干からびないように水をやっている感覚で好いている。
ただ、そんな一人旅で唯一苦手なのが「一人で食事をする時間」である。
日常生活であれば食事はルーティーンの一部なので、一人で食べてても特段気にしないが、旅となると話は別である。なんせ旅の醍醐味の一つが現地での食を楽しむことに他ならないからだ。
カウンターでご主人と会話しながら食べれたら良いのだが、いつもそういうわけにはいかない。としたとき店でテーブルに一人で座り、もしゃもしゃと飯を喰らうのだが、これが全然おいしくない。
いや味は美味しいのだが、それこそ「幸福感を感じない」のである。
やっぱり食事は1人きり無言で咀嚼するのではなく、誰かと一緒に「美味しいね」と言いながら食べるに尽きる。「旅行はどこに行くかじゃなくて誰と行くかだ」とはまさに真理を突いている。
それこそ毎日高級店で1人で食事するのと、質素なメニューではあるが愛情に満ちたパートナーと食事するのと、どっちを選びたいかと言われれば、私は完全に後者を選ぶ。
同じものを食べているのに、同じ経験をしているのに、そこに「良い人間関係」が加わるかどうかでかなり幸福感に違いが出る。これはみなさんも肌感覚で感じているのではないだろうか。
<最後に>
「人間関係が大事だ」と言うと、社交性やコミュ力みたいなものがフィーチャーされがちだが、大事なのはもっと根源的な「人への興味」に近いものだ。「人との繋がり」をおろそかにすると、いつかツケを払うときがくる。
そうならないように、狭くても少なくてもいいから、目の前の人を大事にできるかどうかが問われているのではないだろうか。
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