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『才能ハラスメント』はもうたくさん


「才能ハラスメント」という言葉、ご存じでしょうか?


これどういうものかというと、

「誰にでも才能はあるよ!だから、それを伸ばしていこうよ!」

というやつです。



…けど、これってほんとですか?


才能ってほんとに誰にでもあるんですか?


私自身、「自分には取り立てて何か才能があるわけじゃない」

ということをずっと自覚していた人間ですし、

ズバ抜けた才能がある人のことを羨ましいなと思ったりもしていました。



「誰にでも才能はあるよ!けどまだそれが見つかっていないだけ!」


これをずっと言われ続けて、けどそれでも見つからなくて。

これで苦しんでいる人をたくさん見てきました。


才能診断テストなるものをやってみたり、

ストレングスファインダーをやってみたり、

カウンセラー的な人に相談してみたり、


色々やってみたけど、いまいちしっくりこない。。

けど、


「諦めないで!隠れた才能があなたにも絶対あるから!」


というメッセージを浴び続けるから、

「何で私は自分の才能を見つけることができないんだろう…?」

と悩んで苦しむことになる。



これはもう立派なハラスメントです。



「才能は誰にでもある」

これは厳密には間違ってはいないと思います。

けど、"使われ方"が間違っていると思います。


要するに、才能には『種類』があって、

「誰にでもある才能もあれば、ない才能もある」

ということです。


ここが区別されないまま、誰にもあるわけではない才能を指して

「才能は誰にでもあるよ!」という押し付けは、

これは立派な才能ハラスメントにあたります。



ということで、才能ハラスメントを受けないためにも、やらないためにも、

「才能の種類」について、見ていきたいと思います。


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<才能の種類>

世の中で言われている「才能」という言葉は、3つの種類にわけることができます。

才能の種類
①天賦の才
②自分の中での得意
③他者より得意


この3つを区別しないと、才能探しのドツボに嵌ります。

それでは、それぞれ一つずつ見ていきたいと思います。



<①天賦の才>

これは、発揮されると世の中に圧倒的な価値やインパクトをもたらします。

誰の目にも明らかな才能であり、ごく一部の人間にしか備わっていません。


例えばですが、超有名どころでいうと

ダ・ヴィンチ、モーツァルト、ピカソ、エジソン、アインシュタイン…etc

などなど、こうした面々は天賦の才を遺憾なく発揮した例でしょう。


別にここまで超有名じゃなくても、

例えば、身長が190cmあって筋肉のバネも抜群の身体能力オバケは、

バスケットなどのスポーツにおいては、間違いなく才能に溢れている部類に入ります。(スラムダンクの桜木花道なんか明らかに天賦の才がありますよね。)


もちろん才能を開花させるには並外れた努力もあると思いますが、

こと「才能」という面で天賦の才を持っていたことも否定できないでしょう。


頭脳、スポーツ、技術、芸術、お笑い、文学、指導、コミュニケーション、

分野は何でもいいですが、周りから見て「この人は明らかに才能あるな」という人、周りにもいたのではないでしょうか。

ちなみに「容姿」も立派な天賦の才だと思います。




<②自分の中での得意>

これは「自分の中では比較的これが得意かな」という類のもので、

他者との比較ではなく、自分の中での"能力値パラメータ"のなかで、相対的に数値が高くなっているものを指します。


これは他者との比較ではないので、他者より秀でているかどうかは見ていません。

つまり自分の中では得意であったとしても、
それが他者よりも優れていて、世の中で価値を認められるかどうかについて保証はありません。

ちなみに、ストレングスファインダーはここにフォーカスしたものになります。




<③他者より得意>

これは、いわゆる集団の中における「偏差値が高いもの」です。

それが自分の中で得意なことであるかどうかはここでは関係なく、

他者よりそれをうまくできて成果を出せるというものです。


なんなら自分の中では苦手意識すらあるものも、周りの人よりはうまくできる、ということもあるかもしれません。

ただ、その集団の中で偏差値が高いというだけで、別に好きでも何でもないのに、それを軸に人生を選択してしまうと、

集団のレベル(周りのレベル)が上がった瞬間に偏差値が相対的に下がり、

成果が出せなくなった時に、「何で自分はこんなことやってんだろう?」と苦しんだりすることもあります。




<まとめ>

①の「天賦の才」と、
③の「他者より得意」については、
残念ながら 「誰にでもある」というわけではありません。

なので①や③を指しながら「才能は誰にでもあるよ!」というのは、これはハラスメントです。

この領域で「才能を見つけなきゃ」ともがくのはとても苦しいです。

なぜなら、残念ですが「ないものはない」という可能性があるから。


そして仮に「才能は誰にでもあるよ!」という言葉が、②を指しているのであれば、それは正しいです。

ここは自分の中での相対的優位なので、必ず誰にでもあります。

ただ、ここを指してさも「それを活かせば成果が出るよ」みたいに言うのは違います。


なぜなら、自分の中では比較的得意でも、それが他者より優れていて世の中で成果が出せるなんていう保証はどこにもないから。


もちろん①や③があるに越したことはないですし(①はその人なりの葛藤もあるかもしれませんが)

②もそれに絡んでくる(つまり自分の中で得意なもので勝負できる)のであれば、なお良いのかもしれません。


「自分の才能を知りたい」と思ったとき、
自分が①~③のどれを対象にしているかをまずは認識することが第一歩です。

①~③のどれで人生を勝負するかに、絶対的な正解はありません。


やはり最後は「自分はどう生きたいのか?」を見定めて、

「どこで勝負をかけていくか」を自分自身で決めるのが、納得した人生を送るための鍵になるのではないでしょうか。


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