主題の通り、僕はお酒もタバコもやらない。やりたくない。 何故かというと、人生のプレッシャーから逃げたように感じるから。 押し寄せる不安から逃げるためにお酒を飲むんならまずその不安をどてっぱらで受け止めたい。 口が寂しいなら、自分が赤ちゃんと同じ欲求があることを恥もせず認めたい。 人生は辛いから、何かに寄りかかることはとても大事だと思うけど、その寄りかかる対象は選びたい。 アルコールなんかは、好きな人は飲めばいい。ただ、僕は思うんだけど、酔った人と酔っていない人がいる
毎日のように探し続けている自分という存在の核。 いずれ、そのなにもかも分からないまま、「これでいいんだ」って鼻をつまみたくなるほどの臭気漂う欺瞞の言葉を口にしながら、死んでいく自分の姿が見える。 思えば小学生の頃から、自分の頼りない存在を自覚しながら生きてきた。時には威張りながら、虚勢を張りながら、生きてきた。 他人のことを心底から軽蔑しているくせに、他人からの評価を求め、四苦八苦する日々に、矛盾を抱えていた。 そんな自分は特別なんかじゃなく、ありふれた人間像の一つと
夕暮れ、瞬く間に夜。 毎日が走馬灯のように瞬間に過ぎてゆく。 子どもの頃は、早く大人にならないかなあと思っていた。 時間が過ぎるのがとても遅く感じられ、行動力の欠片も備わっていなかったかつての私にとっては、ほとんど拷問を受けているかのように感じられた。 今になって、あれは安寧の時間だったのだ、と気づき、ため息が漏れる。 思い出すのは、不思議とよい思い出ばかりである。夏休みの日に感じた、あの時間が無限に引き延ばされたかのような感覚、照り付ける太陽、自分に広がる無限の可
いつものように昼の二時過ぎに起床した。 ベランダに出ると、これまたいつものように秋晴れの空が広がっていた。飼い猫と共にしばし日光浴をする。 そして出来得る限りの家事を済ませ、家を出て今日もnoteに書くためのネタ探しを始める。 なんと安定したルーチンであろうか。おおよそ無理したところが一切省かれた生活である。 近場にあるフリーwifi完備のフードコートに腰掛け、やおらPCを開く。 noteにアクセス。すると、トップページ上に、いくつか定期で開催されていると思われる様
大学を今年の4月に卒業して(追放されて)、既に半年が経とうとしている。 在学中に就職活動もろくにしてこなかったので、現在はコンビニのアルバイトをしながらなんとか糊口をしのいで生活をしている。 「学校」というものに守られて20年間経ち、その保護もいまや失ったわけであるが、意外にも快適である。その理由を下記に記したい。 「学校」が嫌い 私は学校が嫌いであった。今でもその過去を思い出すと冷や汗の出るような気持ちである。サイズが合わないダボダボの、しかも通気性も酷く悪い学生服を
虐待やネグレクトなどの話題が絶えることはない。 インターネット上では、最高の暇つぶしと言わんばかりに日々このような痛ましい事件について ーこの記事も例に漏れずー 各人がそれぞれの意見を垂れ流している。 そもそもとして、どこまでが虐待かというと、その線引きはとても難しいことがある。 挙げるケースとして適切ではないかもしれないが、今年の10月にとあるプロサッカークラブで監督によるパワハラ指導が行われているのではないかとの疑惑が持ち上がった。これは異例の出来事である。詳細につ
最近、生活をがらっと変えた。 といっても住む場所を変えたとか働く場所を変えたとか、そういうことではなく、起きて活動する時間帯を完全に夜にすることに決めたのだ。 理由は様々ある。 夜はとても静かである。街を歩いていたとしても、誰かとすれ違うことはそうそうなく、他人からの視線を感じずに済む。神経が少し過敏な私からすると、ちょっとした買い物をするにもくたびれずに済むのだ。 自分の住んでいる地域は都会でもないが田舎でもない。人気のない夜道でも街灯が煌々と照らしてくれているので
ひたすらに生きる。 無我夢中に生きる。 死ぬことを忘れたことは一度もない。 不幸であることを忘れたことはない。 死んだら何もない。 幸せはすぐに過ぎ去る。 友達はいなくなる。 それでもぼくは生きる。 ハゲても生きる。 指がなくなっても生きる。 ただひたすらに。 ・・・