なぜ左翼おじいちゃんたちは今も永田町の路上に立ち続けるのだろうか?
ウィンストン・チャーチルが言った言葉はこうである。
ところが、こんな風に伝言ゲームで変わってしまったようである。
「左翼」とは大人にとっては「若気の至り」なのだろう。
ところが、永田町にいると、まだ大人になりきれていない「おじいちゃん」が路上で頑張っている。正確にいうと「おじいちゃん」に洗脳された「おばあちゃん」の方が人数として多い。
さて、私の恩師も「世界史」を教えながらも、相変わらず「左派」である。
もうすぐ70になる。新米の「左翼おじいちゃん」というところか。
私はもともと「歴史」に興味なかったから、そういう話は先生とはしなかったが、「尖閣問題」以降興味を持ち出して、日本史・世界史を勉強するようになった。
知識を手に入れると先生と詳しい話をしたいわけだが、なかなか話が噛み合わない。
歴史上で尊敬する人物は誰かと聞けば「そんなものはいない」という。
東京裁判の話を持ちかけると「話題を変えろ」という。
歴史に興味持たせるのが教師の仕事だろうに、歴史史観を議論するのはNGなのだ。それでも、ボランティアで歴史を今も教えている。
「尖閣問題」がホットになったとき、私は北京にいた。
「日本人は外を歩かないでください」と言われた。
なぜ今さら、昔に解決した問題をほじくるのか?
世界の歴史では、恨みは何百年も続くものだと知った。
我々は昔のことを「水に流す」ことができる民族だとも知った。
「左翼」の青年たちだって、お金に困らなくなり、家族ができると、
過去のことを水に流して、自分が「左翼」だったことを忘れているはずだ。
ところが、予備校の講師とか、一部分の人たちに、
大人になりきれていない人がいたし、恩師の現在もそうである。
彼らは、いつも何かに反対しているばかりで、主体的な自分がいない。
ぜんぶ「外部」の何かのせいにする。
そうすることで同士と団結して「主体的な何か」を感じるのだろうか?
226事件などのテロは、合理的な判断のもとやってるとは思えないし、
学生の安保闘争もまた合理的な解決策になっていない。
雑にいえば、貧困のあまり、当たり散らかしているだけなのである。
ところが、彼らの近辺が平和になっても、ヘンテコな理念だけは残る。
こうして、よくわからない「左翼じいさん」が化石のように残るのである。
原発とか辺野古が問題なんかではない。
権力者にあらがっているポーズこそ彼らの「理念」なのだ。
そんなに伝えたいことがあるのだったら、
SNSで発信すればいいのに、彼らは路上にいるだけ、とくに何にもしない。
おそらく彼らは「左翼が嫌われていること」はわかっている。
そりゃ「スターリンが大好きだ」なんて言えない。
ところが「トルーマンこそ断罪せよ」とも言えない。
反論されるのが嫌だから、議論から逃げる。
自分をもっていないから、議論にならない。
匿名で嫌がらせするのが精一杯なのである。
なるほど、何にもしなくて、斜に構えていると、
自動的に「左翼じいさん」になるのだ。
昔は知的な反逆児に見えて一部の女子からモテたのだろうが、
今は路上で立ってる不幸せそうなおじいちゃんである。
私の尊敬する歴史教師は、もはや茂木誠先生や土井昭先生になっている。