様々な世界の片隅で【やさしい脳科学】
そもそも迷路が違う
我々は日に何十という選択の場面があり、記憶にも留めないようなステップにて、まるで無意識かの如く決定を下している。
それが気づかないなかでも、何日、何週間、何ヶ月、何年と続くなかで、脳内に「考えるパターン」言い換えるなら「考え方のクセ」というものが出来上がる。
その「クセ」や「パターン」によって、あらゆる事象を分類する。
このクセは一朝一夕に変えられるものでないところがまたクセモノなのです。
すると同じ話題を見聞きした隣人同士でも感じた答えが相反する場合だってある。
脳内のフローチャートが異なるのだから、当然といえば当然である。
我々は手にしている迷路 (フローチャート) がそもそも全く別なものであることを前提することを、ついつい置き忘れることがある。
そのような時に、相手への無理解へと繋がり、時として衝突に至ってしまう。
物事の考え方が多様であることが自明であることを容認していきながら、落とし所を模索する。
そのステップを慎重に進めなければならない。
相互理解のためには…。
日常生活を求めて
「普通の家庭を持ちたい」
「子供を持ちたい」
という思いがあるなか、
トラウマを持っている方の悩みを下記記事で知りました。
実に切実です。
日常生活の「有り難さ」を思い知らされるいまだからこそ、他者の気持ちにも理解が抱きやすければ良いと思います。
生業とする業界では
日夜、表の世界では新規感染症の蔓延が猛威を奮っているわけですが、
「裏」の世界では、全く異なる感染症のパンデミックが生じていることに驚きました。
ウイルス、細菌はあらゆる形で我々の生活へと影響を与えているのですね、実に。
おわりに
人間の本能的行動を巡る全く異なる世界がそこにはありました。
これはいずれもある日のネットニュースで、ものの数分の間に読んだ2つの記事です。
同じ国でこうにも異なった様々な立場、状況、心境で日々を過ごしている人がそこにいる。
これが事実です。
市井の人の生活に目を向けて貰いたい。
ええ、皆様に申しているのではごさいません。
声の届かない、声なき声を、
世を動かす力を持っている者共へと。
科学も医学も力を持たなくなったこの世の中へ。
辟易しながらも我々は生きていかなければならない。
そう、その日一日を唯々精一杯に。
おしまい