【棚から一冊】タコが教えてくれること
人間が知らない生き方
目下、蔵書の整理に明け暮れる日々にあらためて出逢った一冊
『LIFE ライフ 人間が知らない生き方 (文響社)』
そのなかには様々な動物が紹介されています。
タコ
今回、その中のタコについて紹介します。
冒頭で
ストレスの絶えない現代社会では、生きづらさを感じている人は多い。 ストレスのあまり、希望を失っている人もいる。
と記されています。
続けて「タコは最も賢い無脊椎動物」と紹介される。
その比喩として
タコの寿命が長ければ、海底に都市を築くことができた
といわれていたというから、驚きます。
足を切って逃げるタコ
実はタコは外敵に襲われそうになると、捕まれた足を自ら切り離して逃げることができます。
さらにその切り落とした足の箇所は、再生することが可能なのです。
このタコ、賢さの一方で、デリケートでストレスに敏感であることも特徴である。
空間的ストレスや餌が不足しているストレスによって、自らの足を食べてしまうらしい。
この話を聞くと萩原朔太郎の詩『死なない蛸』を思い出します。
死なない蛸
【死なない蛸】 或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水(しほみづ)と、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに[#「そこに」に傍点◎]生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。
この詩に登場するタコも餌不足であったことになります。
再生しない足
前述のように足を再生出来るタコではありますが、重要な点としてストレスによって自らが食べた足は、再生することが出来ないのです。
これは言い換えると
自分の足を食べるほど追い込まれたタコの足は再生しない
ということになるようです。
というのも自らの足を食べ始めるタコは、その後弱って死んでしまうというのです。
タコから学ぶ
本書ではtake-home messageとして、
人間はタコと異なり、
「自分を追い詰めてしまう前に、自分で環境を変えることが出来る」
というメッセージを我々に届けてくれています。
朔太郎の蛸のように
「見えない動物」
にならずして、人間として生きる。
必ず誰かがアナタを見ています。
だから環境を変えてでもタコにならずヒトであり続ける。
それをタコが教えてくれているのではないでしょうか。
おしまい
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