ベタでも沁みた泣いた
今朝のラジオではレミオロメンの『3月9日』が流れた。
気象予報士の伊藤みゆきさんの選曲。
これまでも何回かご紹介しています。
「歌詞にある『昼前の空の白い月』が今日は見られるかもしれません」と伊藤さん。
伊藤さんの選曲理由には様々あるが、今日はすぐにわかったし、失礼ながら「ベタだな〜」とも思いさえした。
御本人もTwitterで「やっぱり!」などというコメントが挙がっていることをいち早くコメントされていた。
ドアから踏み出して
昨日の雨から一転、気持ちの良い空を感じながら歩みを始めた。
歩きながら音楽でも聴こうと荷物からイヤホンをと思い、まずは衣服のポケットをそれぞれ両手でポンポンと叩いてみた。
はたと定期と家の鍵が無いことに気づく。
踵を返し家へ歩き始めると、向こうから両手に荷物を抱えた家人が駆けて来ている。
自分がこれから出掛けようとした矢先、私の粗忽さに気づいたらしい。
私は忘れものを受け取り「助かったよ、ありがとう」と伝え、心からそう思った。
3月9日聴いてみる
さて、これで安心して駅へと向かうことが出来る。
再び先程行おうとしたはずの行為であったリュックからイヤホンをとりだし、歩きながら何か聴こうとスマホを開く。
空をみながら先程の伊藤さんの言葉がふと思い返され、3月9日を聴いてみることにした。
歌詞
これまで何気に流しているだけで歌詞をしっかり聴いていなかった。
『日の長さを感じ』る今日この頃。
年度末の忙しさからnoteの投稿も途絶えがちだ。
『新たな世界の入り口に立ち』
身の回りでは慌ただしく様々な出来事が動いており、年度を境に変化する兆しに満ちている。
今日は薄手のダウンでも歩いているとカラダが温まって思わず脱ぎたくなるほどだった。
『青い空は凛と澄んで』いるし
ひつじ雲ではないけれど白い雲が浮かんでいる。
『うまくはいかぬことはあるけれど
天を仰げばそれさえ小さくて』
まさしくそうだ。
ついつい目の前のことで頭がいっぱいになってしまい、落ち込んだり、悩んだりもする。
それでも世界はそのまま目の前にあって、街は動いている。
空も朝明けて、そしてまた夜が来る。
そんな様を空をみることで思い返す、そのような経験は数え切れない。
「きづいたことは1人じゃないってこと」
そう、まさしく先程の忘れ物の一件で助けられたばかりだ。
家族の存在のお陰で、私も『強くなれた』と思う。
本当に。
私も家人の、家族の、周りの人の支えになれているだろうか。
ふと思う。
家族が『この先も隣で微笑んで』くれていればそれで幸せだ。
みなにとっての『私もそうでありたい』
と心から思う。
おわりに
名曲といわれる曲を、これまでただなんとなしに垂れ流していた私に、あたらめてじっくり歌詞を噛みしめ聴く機会を与えてくれた。
心に沁みた。
そして、道中で目に飛び込んできたであろう花粉も綺麗に洗い流された、きっと。
これもひとえに伊藤さんのおかげである。
「ベタ」だなんていってすみません。
寧ろありがとう。
そして超限定的なタイトルの曲を作ったレミオロメン。このタイトルであったがゆえに今日が訪れた。
有難う。
もうすぐ節目の日が訪れる。
人々が悲しみの日々のなかから立ち上がり、歩み続けた10年。
でも自然は実に無常で、今朝も記憶を辿らせるかのように、蘇らせるかのように、忘れさせないかのように人々を震えさせる。
それでも…
あらためて『気づいたことは
1人じゃないってこと』だ。
おしまい
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