【短編小説】ワンダフルラテアートドラゴン
冬も終わりに近付き、上着を選ぶのに少し迷いが出るようになってきた。私は冬の乾いた冷たい風が好きだったから、毎年このくらい時期になると少々の寂しさを覚える。
今日は何をしようか。と悩んでいると、ふと部屋の隅に積んである本に目が行った。気になって買ってみたものの、読む暇がなくてそのままになっている、いわゆる積読というやつだ。どうせ家の中じゃあ集中して本を読めないので、私は適当なカフェにでも行って読書をすることにした。
上着を選ぶ為に、一度ベランダに出てみる。私の好きな冷たい風だ。私は最近ご無沙汰だった着膨れする上着を羽織り外へ出かけた。
それにしても、今日は気分が良い。今なら、気になっていた喫茶店にも入れる気がする。いつも通り過ぎるだけだった、落ち着いた雰囲気の喫茶店。敷居が高そうで敬遠していたのだ。
なんてことを思っているうちに、ちょうどその喫茶店の前に来た。きっと、今入らなければ後悔してしまう。そんな気がしたので、多少の緊張を抱えつつも私は扉を開けた。
中に入ってみると、外装とは裏腹に小洒落た小物がいくつも飾られていて、幾分かの喧しさを感じた。私は失敗したかな?と少し肩を落とした。けれども、店内BGMは静かで、会議やお喋りに勤しむ他の客も居ない。一度本の世界に入り込んでしまえばそんなに気にはならなさそうだ。
気を取り直してメニューに目を落とす。どうせ頼むのはホットコーヒーなのだけれど。
「ん、ラテアート…?」
どうやらここのお店はラテアートに自信があるらしかった。ラテアート。エスプレッソの上にミルクで模様をあしらう。ホットコーヒーと値段がさほど変わらないというのもあり、私はこの一押しのカフェラテを注文してみることにした。
ラテアートってどうなんだろう。私にとっては初めての代物だ。よくあるのは、葉っぱや羽根のようなデザインだろうか。あれだけでも充分凄いけれど、中にはそれこそ絵を描くようになんでもデザインできる猛者も居ると聞く。もし、可愛いウサギやクマの絵が描かれたラテが出されたら、口をつけるのに躊躇してしまいそうだ。
ラテアートは提供に時間がかかるだろうと踏んで、一足先に本を読み始めた。その読みは当たっていて、出てくるまでに本が数十ページ程進んだ。
トレーを持った店員がこちらに言う。
「大変お待たせ致しました。こちら、カフェラテになります。お熱いうちにどうぞお召し上がりください。」
「ありがとうございます。…えっ?」
私は目を疑った。カフェラテが注がれていると思しきそのカップには、今にも飛び出して来そうなほど精巧かつ雄渾な龍があしらわれたいた。
「あの…、こちらは?」
「はい。ワンダフルラテアートドラゴンでございます!」
「ワンダフル…ラテアートドラゴン?」
店員は聞いてくれたことが嬉しかったのか、満面の笑みで答えた。
「特に、逆鱗の部分に力を込めて描きました。是非、ご堪能ください!」
「は、はぁ…。」
店員は行ってしまった。私はワンダフルラテアートドラゴンと2人ぼっちになった。どうやら、私の知らない間にラテアートの世界は数段先の方まで進化を遂げていたらしい。立ち上る湯気がまるで雲のように神々しかったので、それが消えぬうちに写真を数枚撮った。それにしても…
「ワンダフルラテアートドラゴン…。」
おそらく、ドラゴン側も自分の生まれる場所がコーヒーの上になるとは想像だにしていなかっただろう。その不釣り合いな組み合わせが、名前に如実に現れている。ファイアードラゴンが炎を、ブリザードドラゴンが氷を司る龍なら、このラテアートドラゴンは珈琲を司る龍だとでも言うのだろうか。そして一体何がワンダフルなのだろう。いや、確かにラテアートとしては十二分にワンダフルなのだが。
「…………。」
ワンダフルラテアートドラゴンが静かにこちらの顔を覗き込む。だが、どんなに勇ましい眼光を放とうとも、所詮は食器の上。威厳というものが微塵も感じられない。にも関わらずドラゴンの名を授かってしまったこのラテアートにある種の同情心が芽生え始めた。可哀想に。そう思ってしまったが最後、途端に愛着が湧いてきてしまった。
「こんなの…飲めないよ…。」
この龍の命は私が握っているのだ。その気になれば簡単に啜り殺してしまえる。本を読みに来ただけなのに、そんな残酷な事、私には出来ない。
「…汝よ。力が欲しいか?」
「えっ…?」
一瞬声が聞こえたような…。いや、きっと気の所為だ。このドラゴンがあまりに精巧だから、私が幻を見てしまったに違いない。
「我はどの道長くは持たない…。我はラテアートドラゴン。冷めてしまうまでの命だ。ならば、我の力が及ぶうちに汝に味わって欲しいのだ。」
やはり、ラテアートドラゴンが喋っている。私にはそう聞こえた。やはり幻聴なのだろうか。いや、たとえこれが幻聴だろうと構わない。だって、ラテアートドラゴンが言っていることが正しいからだ。このドラゴンは人に飲まれるために生まれてきたのだ。ならば、温かいうちにトドメを刺してあげるのが礼儀というものだろう。私は震える手を何とか誤魔化して、カップの持ち手に手をかけた。
「来るが良い!小娘よ!」
私は意を決して、ラテアートドラゴンを飲み干した。思えばそうだ。私にはいつも決断力というものが足りていなかった。ずっと躊躇ってばかりで…。でも今日で私は変わった。だって、このラテアートドラゴンを仕留める決断ができたのだから。このお店だって、入ろうと思っては諦めるを繰り返していた。なのに、今日このお店に入る決断ができたのは、きっとラテアートドラゴンが私に力をくれたからだ。
「ありがとうラテアートドラゴン…。結局何がワンダフルだったのか分からないけど…。」
身体が芯から温まってゆくのを感じた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?