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2023年を終えて。

東京での暮らしにも少しずつ慣れた5年目、約2年ぶりに実家の戸を開けた。

決して両親と絶縁状態にあった訳ではなく、昨年末は父がコロナになり急遽帰省ができなくなってしまったからだ。

久々に会った家族は、とても自分のそれとは同じとは思えないスピードで"老い"に襲われていた。
父は以前よりもシワが、母は顔にシミが増え、祖母は驚くほど小さく見えた。
慣れ親しんだその他人に、私は少しだけ気まずくなり彼らを直視出来なかった。

食卓に座れば自動的に運ばれてくる料理を、ぶっきらぼうに胃に流し込み、最低限の感謝を「ごちそうさま」という簡単な言葉に変えて、そそくさと自室に篭った。
そして、ふと思い立ちこのノートを書いている。

思えば、私は外見こそ変わらないが内面は彼ら同様、とんでもない早さで老いていってしまっているのかもしれない。
心が震えなくなっているのをひどく感じる。
少し前までは夕空を見てはそれを写真に収めていたが、今ではただ通り過ぎるだけの日常になってしまった。
また少し前までは自分の考えていることや見ている世界を表現することが好きだった。しかし今ではもう、その方法さえ忘れてしまっている。

実家の自室に入ると、あの頃の感覚がほんの少し取り戻される気がした。
東京に居る時よりも繊細に、屋根に当たる雨音を感じ、東京に居る時よりも大胆に、自分の想いを恥ずかしげもなくこうして文字にすることができる。

居心地が悪くもあり良くもある、不思議なこの建物のおかげで、ゆっくりと時間を使うことが許されている。
言い換えれば、それは日常になってしまった現在の生活に、時間をかけて心を侵されてしまった証左でもあるだろう。

間も無く、2023年が終わる。
何かを成し遂げた訳でもなければ、何かを失った訳でもない。
この一文で片付けられてしまうほど簡単で彩りのない一年だった。
いや、少し前の自分ならそんな風には感じていなかったであろう事象すらも、受け流してしまっているだけなのだろう。
まるで放置された自転車のチェーンのように、心に錆が回り始めている。
錆は放っておくと、その侵食スピードは早くなるが、きっと人の感性も同じだ。
私の場合は、時折りこうして潤滑油を垂らすことで、カラカラと音を立てながらではあるがチェーンが回る状態を作っている。

誰に宛てる訳でもないこの文章を、2023年の心状態の記録に換え、ここに残す。

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