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人は人生を繰り返し最後は猫になる

深い話が展開されそうだ。

「人は人生を繰り返し最後は猫になる」

なんて興味がそそられるタイトルだろう。
これが何の気無しに入った書店の、どこのコーナーに置かれていても手に取るだろう。

小説、ありそう。

エッセイ、ありそう。

自己啓発、逆にありそう。

どのジャンルでも面白そうだ。

前置きがだいぶ長くなってしまった。
本題に入ろう。

昔、お世話になっている先輩からこんな話を聞いた。

「人は死ぬと、生まれ変わって人生を周回する。そしてその過程の中で人として完成されていく。周回すればするほど、穏やかで優しい人になる。」

これは宗教的な話をしたいのではなく、人から嫌なことを言われたり、対人関係において納得のいかないことがあった時に、「あぁ、この人はまだ人生2周目なんだなカワイイ」と思うための考え方である。

具体的にどういう人が何周目なのかを考察してみよう。
あなたの身の回りの人、またはあなた自身が何周目かを確認して欲しい。

■人生1周目
・余裕がなく終始イライラしている
・簡単に人に声を荒げてブチギレる
・「マナー」について考えたこともない
・自己の利益しか考えていない
・借りたお金でギャンブルをする

これが人生1周目の人の特徴としよう。
生まれたばかりなので、まだまだ未熟で、たまに街で見かけるおじさんに多いタイプだ。
その人が死に、生まれ変わると2周目に突入する。


■人生2周目
・食べ方が汚い
・トイレのドアは閉めない
・身だしなみに気を遣わない
・特に何も考えていない
・Twitterで無差別に悪口リプを送る

2周目になると、他人に対して無干渉になるが、いわゆるだらしない人がここに分類される。また自己嫌悪や劣等感から生まれたどうしようもない日々の鬱憤を、SNSを通じて見ず知らずの人で吐き出している。


■人生3周目
・怒ると手がつけられない
・人に優しくしようとすると空回る
・空気が読めない
・自分の考えが正しいと主張する
・非を認めない

ようやく人と絡むようになるが、基本的に褒められるところはない。
自分の意見を押し通そうと必死になることもよくある。
反論されるとむきになり、時に声を荒げる。


■人生4周目
・基本的に怒らない
・ただ人を褒めもしない
・嫌われないように努めた結果無口になる
・間違っていると思うことに意見できない
・飲み会には呼ばれない

3周目でしてきた失敗が怖くなり話さなくなる。「無害な人」と言われがち。


■人生5周目
・好きな人とはよく喋る
・だが嫌いな人の陰口はかなり言う
・嫌なことは嫌と言うが伝え方が下手
・人を褒めるが褒め方が下手
・たまに面白い

好き嫌いがハッキリしていており、友達は少ない。恨みを買う場面も多いのでバランスは悪い。悪気なく失礼なことを言いがち。


■人生6周目
・誰とでも分け隔てなく喋る
・グループ毎に自分の役割を理解している
・相手を否定せず尊重した上で自己主張する
・小さな変化に気づき声をかける
・その人の悪口を聞かなくなる

6周もするとかなり善人になってきて、裏表のない真っ直ぐな人になってくる。そのため、その人の悪口を言う人もおらず、どこにいっても重宝される人材。

そして次の7周で最終段階である。


■人生7周目
・名誉名声収入の全てを慈善活動に使う
・周りには人が集まりその人たちは幸せになる
・人を動かす力がある
・常に前向きに生きている
・ほぼ仏

人の幸せを自分の幸せのように扱う人がこれだ。


しかしここまで行くともう打ち止めで、神様も困ってしまう。7周目の人が死んでも、次の転生先がないのだ。

困った神様は考えた。これだけ人生を繰り返し善人となっても、もうこれ以上はないのだ。
そこで新しいジャンルを作った。


そう、「猫」だ。


7周目の人生を全うしたのちに、人は猫になる。


神様は、自由に生きていても誰からも怒られず、もはやそれがそのものの特徴である「猫」というジャンルを作った。

特に飼い猫の場合は、犬のように強引にしつけられることもなく、リードをつけて散歩させられることもない。
また鳥のように外敵に狙われることもなく、カゴに入れられることもない。
何をしても「かわいい」と言われ、少し悪さをしても「猫だから」と許される。

善人の転生先に困った末に、神様は究極の自由を与えるべく「猫」を作ったのだ。


人は人生を7周すると、猫になるのだ。
猫になることを認められるのだ。

そうでなければ、あんなにも自由に生きているのに可愛がられ愛される生物が許されるはずがない。
あれだけ好き放題している猫が許されているのは、紛れもなく前世は「人」で、それも善人であるから、我々は暗に親近感を覚え受け止めている。

「ネコミミ」と言う言葉があるのに「イヌミミ」という言葉がないのも、私たちがネコへのリスペクトの気持ちを植え付けられているからに他ならない。


話を戻すが、猫になり死んだ場合はもちろんまた猫になる。
黒猫から三毛、三毛から白、のようにアウターを変えてまた猫をやり直すことができる。
さらに繰り返すと、自分で取るタイプの定食屋のように選べるようになり、自分の理想の猫になることができる。

「えーっと今回は、三毛のマンチカンで…全体的にかわいい感じになるから、顔はキリッとさせてバランスを取って…神様、これでお願いします。できれば裕福な家に行かせてもらいたいっすねぇ。え?家選べるのは来世から?えーまじすか厳しなりました? ま、人間やってた頃と比べたらめちゃくちゃ楽なんで、はーい、いってきまーすあざすー。」

こんな具合だ。絶対にそうだ。


私は今、改めて言う。
人は人生を繰り返し最後は猫になる、と。

猫になることを拒む人間がいるはずがない。
だってかわいいから。うん。かわいいから。


ここまで読んでくれた読み手の「?」の顔が想像できる。
なんだこの浅い上に意味のわからない話、と批判を受けそうだが異論は認めない。
私は間違っていないし、絶対に私の主張が正しい。そうに決まっている。


………。


どうやら私が猫になれるのは、まだもう少し先になりそうだ。

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