喜んでもらえるなら
平日の静かな朝。
バリスタテストに合格してバリスタとしてシフトに入れてもらい始めて間もない私と、入って2ヶ月ほどの主婦さんと朝番。
主婦さんは朝の仕込み、私は納品されたコーヒー豆の確認と記録をしていた。
「こんにちは!」
ひまわりのような、その場の雰囲気をパッと明るくする素敵な笑顔のお客さん。
「あの…ココアで、ラテアートしてもらいたいんですけど…いいですか?」
あっ、このお客さん、覚えてる。
3月末で退職した私の憧れの先輩の大ファンで、いつもその先輩にラテアートリクエストしてくれていたお客さんだ。
「前、Tさん(先輩)に描いてもらった虹のアート、少しアレンジしてもらいたいんです…できますか?この虹の下にメッセージ入れてもらいたくて」
そう言いながらお客さんはラテアートの写真を見せてくれた。
覚えてる、というか、知ってる。お店のハッシュタグや位置情報を検索したときに見かけた。
「ちょっと時間かかるかもしれませんけど、やってみますね」
「やったー!よろしくお願いします!!」
ひええ、初めてのラテアートのリクエストがこんなレベル高いのなんて、バリスタ人生なかなかハードだなぁ。
引き受けちゃったけど本当にできるかな。
そんな思いがよぎった。
このお店で働きたいと面接を受けに来たとき店長に言ったこと。
“お客さんとして来たとき、卒業式のあとで袴をはいていたのを見て「おめでとう」と描いてくれた、それが嬉しかった。ラテアートでお客さんに喜んでもらおうというのが感じられて素敵だと思った。チューリップやリーフなどのアートも描きたいけれど、お客さんに喜んでもらえるようなアートも積極的にしていきたい”
まさにそのときがやってきた。
“期待してます”
憧れの先輩が退職するとき私に言ってくれた。
期待に応えたい。よし、頑張ろう。
メモ用紙にさらっと下書きをして、ココアのベースを作り、スチームをしてミルクを注ぎ土台を描く。
ここからが勝負。
ミルクで描いた虹の土台の上に周りからココアのベースをすくって模様をつける。
虹の両端にミルクの泡を乗せて雲を描く。
虹の土台の下に注いだミルクの上にメッセージを書きこむ。
なんとかかんとか、完成。
他にオーダーは入っていなかったし、この仕上がりでいいかも気になったので自分で運んだ。
「お待たせしました~できました!」
カタン。カップを置いた。
「わぁ~すごーーい!!!」
元々大きめな目をさらに大きく開いて、拍手してくれた。
心がじわっと熱くなるのを感じた。
「喜んでもらえて何よりです」
反応が嬉しいのが半分、ほっとしたのが半分。
「えっ、上手、ほんとすごい!Tさんに写真送ってもいいですか??」
「どうぞどうぞ、嬉しいです」
リクエストを受けたときはきちんと描ける自信が全くなくて、どうしよう!とにかく全力でやるしかない!という気持ちだった。
なんとか描ききって、運んでいくときもとても緊張したし不安だったけれど、お客さんの嬉しそうな表情を見てすべて吹き飛んだ。
リクエストがないときより時間がかかったし、気も遣ったけれど、お客さんに喜んでもらえるなら、そんなことは気にならない。
このときお客さんは私の名前と顔を覚えてくれて、その後もラテアートのリクエストをしてくれるようになった。
先輩の代わりにはなれないけれど、私なりにそのお客さんに喜んでもらえるアートを描いていきたいし、少しずつお客さんのことを知っていきたい。