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10年前なにしてた?

 12月17日に金正日総書記が亡くなって10年が経った。その日、勤めていた会社で働いていると、Yahooニュースに「北朝鮮で重大放送?」という見出しが出て、正午に重大放送を行うことを知った。

 大学の恩師にメールで「何か重大放送やるみたいですよ」とメールをし、そのまま仕事をつづけた。そんなことが出来るくらい緩い職場だった。正午になり昼休み、金正日総書記の死去を告げるニュースが流れると、ぼくの携帯電話は1時間震え続けた。西野カナもびっくりである。社内の同僚が口々に言う。「金正日死んじゃったよ!」。

 上司にも言われた気がする。そのまま仕事しながらクライアントと打ち合わせて、年末までに1本コラムを書いた。金日成主席死去の時は高校生だったから、焦りながらもどこか誇らしかった。

 金正恩時代が本格的に始まったわけだが、李英鎬総参謀長はじめ金正日総書記の霊柩車を囲んでいた首脳たちは軒並みいなくなってしまった。

 この10年間で3回訪朝した。行く度に平壌の風景は変わる。発展しているという一言ではまとめ切らない。発展しているのだが、ぼくの好きな平壌から少しずつ離れて行っている。

 おしゃれなカフェが出来た。平壌で乗馬もした。それは確かに得難い経験ではあったのだが、ベクトルが違っていた。

 2004年のまだ、苦難の行軍の影響が残っていたころの平壌。2010年。金正恩総書記が出てきたばかりの平壌。金正日時代の北朝鮮がぼくにとっては懐かしく、また一番心惹かれた時代だった。

 社会主義っぽさを残す、サービスのかけらもない(あとでそれは誤解と分かったが)接待員たち。すぐにすっかり仲良くなって、帰国前日の朝に記念写真を撮った。あの娘たちももう今頃、母親になっているだろう。

 それから数年。自分が年を重ね感受性を鈍らせていくことと重なり、徐々にだが北朝鮮からの関心が離れていくことを自覚していた。いつかあの街にもスタバが出来て、マクドナルドのハンバーガーをほおばるのだろう。米朝首脳会談を見ながらぼくは、失望とともにそう感じていた。

 しかしコロナが一変させた。かの国は徹底した防疫処置をとった。海外との交流を止めた。21世紀の鎖国である。

 金正恩総書記自身も認めているが、結果的に経済は厳しくなった。未曽有の危機といってもよい。一方で核開発、飛翔体の開発は進んだ。核抑止力を揃え、それを担保に経済を回す並進路線へと回帰した。

 さて、いつまでかの国は鎖国をつづけるのか。その後の北朝鮮の風景は、一変するだろう。経済最優先で雪崩的に資本主義を受け入れるのか。以前のような徹底した、社会主義的な国に戻るのか。

 Afterコロナは世界と、街の風景を変えた。人が集うことを徹底的に分断した。では、北朝鮮は。

 再び北朝鮮への興味がわいてきている。何年先になるかわからないが、Afterコロナの平壌の風景を見てみたい。

■ 北のHow to その135
 コロナは民主主義への大きな疑義と感じています。かといって、専制主義的な政治がよいとは思いませんが、トップダウンでの早期の遮断が効果的だったことは間違いありません。
 もしかの国に行けたら、コロナ対策を聞いてみると面白いかも知れないですね。あの時どうやってコロナと戦っていたか。その知識は決して馬鹿にできない、共有すべきものと感じます。

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サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。