いつか、スーパーで野菜を買うのと同じように花を買う世界をつくりたい
大学を卒業し、秋に入社するまでの間、自分のやりたいことにひたすら手を出す生活を送っていた。4月と5月はひたすらアルバイトに打ち込んだ。メインはスポーツジムのアルバイトだったけど、今後二度とやることのないだろうバイトもしてみたくて、花屋でバイトした。たまたま新店オープンがあって、応募した。店長とうまくいかなくて、1ヶ月くらいでやめてしまったけど、花に対する未練は残った。今、私の部屋には必ず花がある。おとといは白のガーベラ。花言葉は「希望」「律儀」。今はオレンジのガーベラ。「冒険心」「忍耐」。花言葉を調べると、その時の自分に合っているような気がする。
それからというもの、花屋があればふらっと立ち寄り、どの生産者から仕入れてるんだろう、何色だろう、ちゃんと水揚げされてるかな、なんて思いながら、花の絶えない生活をして、一年の旬のお花は覚えたように思う。特に、春は異様に花を買ってしまう。チューリップ、ラナンキュラス、フリージア。オーニソガラムなんて、名前すら覚えられなかった花もある。カスミソウとレースフラワーはいつもとなりでささやかに笑ってくれる。まだ、花の表情を生かすように活けられなくて、もどかしい。別に生け花ではないけど、少しでも花持ちよく管理したいし、うちにきて良かったと思ってもらいたい。
日本には、花を、食料品を買うのと同じように買える文化がない。スーパーに置いてあるのは仏花だ。なんかこわくてでかいユリとか。たまに「季節のお花」があるときはラッキー。きっとこの子は誰にも買われないだろう、と思ったら迷わず連れて帰る。ペットショップに行ったら、気に入った犬から目が離せなくて、連れて帰ってしまうのに似ているかもしれない。
普通の花屋は、鉢植えとか観葉植物とか、雑貨なんかも売っていて、切り花のスペースはなんだかんだ少ない。ほとんどの人は、送別会で渡す花を注文する時くらいしか行かないと思う。もっと、切り花だけが、水揚げ完了の状態でばぁっ!!と陳列されていて、全国各地から四季折々の花が仕入れられているような、そんな花屋があったらいいのに。多分お店の人も、朝本部の発注で届くのを意思なく出してるだけなんだろう。
大体の人の生活には、いろどりがない。それはもう物質的に。毎日見る景色も同じなのだ。ちょっとした自然のやらわかさに触れることなんて、そうそうない。風の変化くらいか。男の人ですら、家に一本あったっていいのに。
これまで私は、ほんとにたくさんの人に花束をもらってきた。ピアノの発表会でも、4年間のバイトが終わった時も、大学を卒業したときも、社会人になって異動したときも。大きな花束をもらって、小さな花束をもらって、手紙をもらって、言葉をもらって。私にくれた思いをとっておきたくて、ドライフラワーにしておいたりする。まだ、男の人からもらったことはない。女性からしたら、男性から花束もらえたら、きちんと女性としてみてくれてるんだなぁ、本当にありがとう、なんでもがんばれるよ、ってなる。私の周りには、彼女に花束を渡している人は一人しかいない。世の中に本当にこんな人がいるのかと、感動した。別にその人だって、ロマンチストではない。恥ずかしいけど、照れるけど、心の底からの気持ちで渡しているんだろう。
6月から8月まではフランスに行った。イタリアやスイスにも出かけ、ほぼバックパックの旅を知り合いに助けてもらいながら乗り越えた。
憧れのラベンダー畑を目にした。南仏のツアーを申し込んで、ひまわり畑もみた。これは、私がフランスに行く目的の一つだった。どこまでもどこまでも続くラベンダー畑をみること。フランスの花文化の中で生活してみること。自然の一部をいただいて、人の生活を少しだけゆたかにさせてもらうこと。アメリカ留学中にビーガンの考え方を知ってから、自然と共存している意識が芽生たからだろう。今は、食事も、オーガニックのものを意識的に選ぶ。化粧品でさえ、化学的なものがたくさん入っているより、オーガニックなものを選びたい。動物実験なんてまっさらだ。プラスチックごみだって、可能な限り捨てたくない。もちろんエコバック。
私にとって、花や緑や太陽や季節の香りが豊かであることは、とても大切なこと。部屋の中もコンクリートの壁は嫌だし、無機質な都市よりも、自然環境との共生を描く未来をつくりたい。少しずつ、人が自然に触れる時間を増やしたい。人間元来の力が、戻る気がする。
いつか、スーパーで人が食料品を買うように、お花を買える世の中をつくりたい。花だって市場で仕入れられて、野菜と一緒に届き、新鮮でみずみずしいのだ。キッチンにあるだけで、玄関にあるだけで、リビングにあるだけで、少し気持ちに余裕ができる。ぼぉっとながめてみて、ほほえましくなる。いろどりがでる。
お花のサブスクリプションもある。でも。お花は、もっともっと種類がある。色がある。形がある。品種がある。季節がある。はまりだしたら物足りない。決められたものが勝手に届いても、押しつけがましい。選べる種類がまだまだ少ない。日本の花卉業界を変えてみたい。仲間が見つからない。「#花のある暮らし」があるんだから、日本の花卉市場はまだ拡大できる。
今はただ、ひたすらに花の勉強をするのみ。そのたびに、気持ちが高まる。
外に出られるようになったら、また花屋巡りをして、ひたすら花を活けて、水を交換する頻度をつかんで、研究するんだ。
それまでは、、、