【Vol.18】退職届
こんにちは。NORIです。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
私には、友達がいる。
だから私は、会社を辞めても困らない。
私の生きたい人生に、
「心」「身体」「お金」「時間」を費やそう。
そう決めて、会社に退職届を出しました。
実はこの話には後日談があります。
セブ島には10月末に渡航することが決まったのは
退職届提出後のことでした。
この後私は一度、退職届を取り下げることになります。
理由は8月末での退職を延期したかったからです。
銀行残高10万円の私は、
とにかく出発前は
生活費をどうにかやりくりする必要がありました。
よもや10万円を使い果たすわけにはいかなかったし、
そもそも10万円じゃ足りなかったのです。
だから銀行残高が増えるわけじゃなかったけど、
毎月のやりくりのためにも、
会社で勤め続けさせてほしいとお願いする必要がありました。
このことに言及する時、
直属の上司や人事部長に感謝せざるを得ません。
一度提出した退職届を取り下げるなど恥の骨頂。
なのに快く
「少しでも長くいてくれるなら助かるよ」
と言ってくださった直属の部長。
2〜3ヶ月の退職延期を申し出たのに
「2年でも3年でも延期してよ」
と言ってくださった人事部長。
このお二人の言葉が、
どんなにか私の愛社精神を強くしたことか。
この先この会社を退職しても、
この会社のファンであり続けるだろうなぁ、と思ったものです。
退職延期により退職届を一度は取り下げた厚かましすぎる私。
さらにすごいことを言い出します。
他社の人事部で働く友人が私の話を聞いて
「それ、休職扱いにしてもらえないの?ダメ元で言ってみたら?」
と入れ知恵をしてくれたのです。
「自分の歩きたい人生を歩く」と
退職を決めたわけですから、退職の延期はあっても、
休職はさすがにあつかましいだろうと思いました。
いずれは退職するつもりもあったわけですし。
が、結果として、休職を申し出た上に
それを会社に認めてもらうという暴挙に出ました。
この時に私の心に浮かんだ下心を正直に告白します。
当時の私は46歳。
自分の歩きたい人生を歩くことはすなわち、
企業に社員として雇用される人生ではなく、
自分で自分のビジネスを持ち、稼ぎ、
自分の時間もお金もすべてを自分のコントロール下に置き、
自分を養っていくことを意味していました。
でも退職を申し出た時点での私の独立プランはまったくの白紙。
必ず何か見えてくるはず。
セブで東南アジアを股にかける起業家に出会うんだ。
そのためにセブに行くんだ。
そう信じてはいましたが、
まったく白紙の状態ではやはりビビる気持ちもあります。
もしセブから帰ってきた時、
何のビジネスネタもなかったらどうしよう。
初めは「また就職活動すればいいや。派遣でもいいし」
ぐらいに軽く考えていたのですが、
なんといっても46歳。
転職市場では厳しすぎる年齢です。
それにもし、雇用してくれる企業に出会えたとしても、
新しい企業文化・新しい人間関係・新しい仕事のルールその他
たくさんの「覚えなきゃいけないこと」に対応できる自信が、
どうしても持てませんでした。
その点、ここまで5年働いてきた会社なら、
たとえ復職後に部署を異動することになったとしても、
勝手知ったる企業文化、見知った顔ぶれ
(ありがたいことにこの会社の人たちはみな
とても前向きでいい人が多いのです)
が、そこにあるわけですから
「仕事を覚えることに専念できる=自分の負担を減らすことができる」
と考えたのです。
私にとって「戻れる場所」があることで、
自分の独立心に水が差されるんじゃないか?
席を空けて待っていてくれる会社に甘えてしまうんじゃないか?
という不安もありました。
退路を断つべきという「あるべき論」が自分自身を襲ったこともありました。
もしもこの道が「行ってはいけない道」なら
どこかで閉ざされるだろうと思っていました。
私が在籍していた部署は社長直下の組織だったので、
部長が私の休職を承諾してくださったら次は
社長の決済までを仰ぐ必要がありました。
この時もまた本当にありがたいことに、
まずは直属の部長が
「復職してくれるなら心強い。ぜひそうしてほしい」
と人事部長に、私と一緒に休職の打診をしてくださいました。
また人事部長も「前例のない」休職を認めたいが
どのように社長に説明をすれば
社長にも承諾してもらえるだろうか?
を考えてくださいました。
こんな周りの方のサポートのおかげで、社長からも
「本人の希望を聞いてやってくれ」
と言っていただけたとのこと。
それに、相談するすべての人から
「休職を認めてくれるならそれは、
今まであなたが働いてきた実績を評価していただけたということ。
ありがたく受け入れてもらいなさい」
と言われたことで、
私は休職をして
セブ島へ留学することになったのです。
会社と相談の上「留学」を理由に
9ヶ月の休職を認めてもらったことを同僚や友人に話すと、
みな口を揃えて「なんて理解のある会社なの!」と言ってくれます。
同僚にいたっては
「うちの会社ってそんなに理解のある会社だったの?」
と目を丸くします。
そんな時私は心から「チャレンジしてみてよかった」と思うのです。私が休職を認めてもらえたことで、誰かの心に
「うちの会社ってやるじゃん!」
っていう想いが芽生えたとしたら、
きっとその人は、昨日よりは少しだけ「会社のため」に
働く割合が増えるんじゃないか?と思うからです。
こうして私は「留学先」「退職」についての課題を
クリアしていきました。
残るは「お金」。
一番の難関。
一番「アテのない」課題です。
明日に続きます。
夢を、夢のままでは終わらせない
お金もじぶんも育て「わたし資産」をつくりましょう
山形 則子
Ms.NORI
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