下積み期
小さい頃から、教育に興味があった。
小学生の頃、将来の夢に 先生 と書いた記憶がある。
中学、高校と上がるにつれて、幼稚園か、英語の先生かなぁと絞られた。
理由はなんとなく、風通しがいいから。
長期的に、でも近すぎることのない距離感で関わる人間が多く、
それが閉鎖的で過干渉な家庭に育った自分にとって
理想的な職場環境だと思った。
塾の英語の先生にも影響を受けた。
英語はどの進路でも使うけど、勉強の仕方で伸びが全然変わる。
学校が好きだったのもある。
運良く、学校はいい思い出が多い。
先生の手伝いをさせられていた時も、
自分が輝く場面を作ってもらっていて
めんどくさがりつつも楽しかった。
そして、当時は言語化できず自覚がなかったと思うが
あるべき教育の形を知りたかった。
自宅で親から受けた教育、関わり方は
すごくおもんなさそうで、楽しくなくて窮屈で
人生って楽しくないなって感じがしていた。
残念な感じだった。笑
どう声をかけられるべきだったんだろう。
どんな風に愛されるべきだったのか。
テクニックを知りたかった。
自分を自分で育て直し、
そして自分の子にはそうしたかった。
楽しく子育てで青春する親子になりたい。
なんかそうできてる人は少なそうだし。
そんな感じで、人格の基礎を育む幼児教育を選んだ。
まぁなんか、幼稚園の先生ってみんな優しくて可愛いくてモテそうっていうイメージもあった笑
仕事で学んだことが、自分の人生に活きる、
そんな仕事を選ばずして何を選ぶんだろう、とまで思っていた。
実習先などで、努力しなくても子どもに好かれた。
すぐに人気者になった。
みんな可愛くて仕方がなかった。
素で生きている子どもは、
必要以上に気を遣う大人よりストレスなく関われた。
小学生以上は性と暴力が絡んでくるのでリスクも感じた。
そこで、幼児教育を学べて教員免許が取れる、国内で最も偏差値の高い大学を目指すことにした。
保育に関わる人材の偏差値はピンキリだが、
ここならハイレベルな環境で学べるはず。
兄の浪人などを見てとりあえず学歴というカードは人生をイージーにするために持っておくべきだと思い
勉強は中1から通信教育、中3から塾に通っていた。
ネームバリューがあれば
もし心変わりして教師にならなくても使えるはず。
子育てに欠かせない質の良い伴侶も見つかりそう。
学費も安いし家から近い、好きな先輩も志望校にしている。
一目惚れした先輩もいる。
ここしかないと高校生になったあたりで絞り、
勉強に励んだ。
高2の夏休み、部活で体の細さをいじられ、
細すぎて子ども産めないんじゃない?どこに子宮入んの?と複数人から笑われた。
言い返せない性格でひきつった笑顔で笑うことしかできなかったが内心泣いていた。
太れない体質だった。
それが食にこだわりの強い実家でバランス良く食事をとっていた、しかし生憎ストレスフルな家庭環境で消化がうまくいってないことが原因と後から分かる。
やり切れない思いで水筒をトイレの鏡にむかって投げた。
荷物をまとめて午後練を何も言わずにドタキャンした。
その日はみんなで遊びに誰かんちに行く予定だったけど
一人予備校に向かい、その日に夏休みの宿題をほぼ終わらせた。
ここで学力をつけてあいつらよりいい大学に行ってやる。
そして人生成功するのは私だ。泣きながら勉強した。
高3の5月、学祭では演劇部の演出を買ってでた。
人前に立って指導する立場はやったことがなく、
でもやってみたい気持ちはあった。
経験不足と過緊張で毎日吐きそうなほどのメンタルで
食欲もわかずウィダーで昼食を済ませることも多かった。
振り返っても、全然上手くやれてなかったけど
これが終わって、
6月からの受験勉強は正直、楽勝だった。
自分のことだけ考えれば良い、
アンコントローラブルなことがほぼない。
やれば結果として点数に必ず出る。
もともと要領はかなりいい。
5月まで忙しいことを見越して高2から進路指導室に通い
高3の先輩に混じって朝8時前から学校で勉強した。弁えない高2がいると噂になって追い出されたけど笑
それなら私より早くこればいいのに。としか思わなかった。
模試もB判定しか取らず、余裕のある状態で10位以内で第一志望合格。
大学に入り7月、運命的に伴侶に出会う。
落としたハンカチを拾われ、
その後1日に3回偶然出会い、
1週間後に付き合った。
1ヶ月後に別れるが、
その4年後またよりを戻して
1ヶ月後プロポーズを受け、
その3年後に入籍。
大学ではほどほどに勉強した。笑
座学はあまり興味がなく、ほとんどの授業で寝てしまった。
教員免許と保育士資格を取り、
自主的に乳児院や小児科病棟などでボランティアに参加。
教育実習でも責任実習を買って出て
インターンも附属幼稚園は規定の倍の日数通うなど
かなり積極的に保育については学んだ。
公立幼稚園にも毎週通って比較した。
卒論では自身が通った私立園にも伺って研究対象とした。
そして新卒で大学附属の幼稚園に就職。
研究と実践を並行して行う、
全国で最もレベルが高い大学附属の幼稚園で
研究大会などでも発表の機会が多く
保育実践では数百人が研修に訪れる。
同僚の偏差値も高い。
7年ぶりに採用された新人だったので
かなり風当たりが強く苦しい日々だったが
なんとか食らいつき、3年2ヶ月、適応障害で倒れるまで働いた。
2年保育4歳児、3年保育4歳児、
3年保育3歳児を担任した。
ひとクラス20〜25人、大量の保護者×子どものサンプルに触れる。
育児相談も受ける。
こう関わるとこう育つ。
教育に熱心な層の多様な例。
志高い同僚の実践から学ぶ。
自分の子育てに活かすために
大量の学びがただ毎日生きてるだけで注がれる環境だった。
退職し、個別指導の塾でアルバイトを始めた。
大学時代もしていた、楽しかった記憶のある働き方。
幼児教育実践を経て、また全然違った力の注ぎ方ができることが嬉しかった。
一人ひとりと心ゆくまで関われる喜び。
大人数よりも自分に向いていた。
やれることを全部できる。
自己肯定感が上がる仕事だった。
小中高生という幅広い年代に対応できる講師として
重宝された。
英語の指導も楽しかった。