ワンライお題(執着/電柱/空き缶)

 


 僕がいつもポチの散歩コースにしている道には、電柱があった。

 電柱というのもただの電柱ではない。なぜか執拗にチラシやポスターでその黄色と黒のざらざらとした目印を潰すようにしてある電柱だ。

 この辺りは治安が悪いというわけではない。ただ単に、その電柱にだけ──散歩の犬がマーキングするように──その目印は貼ってあった。

 最初は疑問に思わなかった。ただ、月日が流れる度にその目印は印象を変えていった。


 僕がいつも通り散歩をしているとある日のことだった。

 ポチの散歩コースはいつもと変わらない。あの電柱、チラシやポスターで一際目立つ電柱で折り返して、帰り道。そう、思っていた。

 ポチが突然吠えだす。びっくりした。こういうことにいち早く気付くのはやはり動物の方なのだろうか。しばらく、しばらく歩いて行っても、その電柱が無い。あの風変わりな電柱が無い。

 目印を失った僕は、はた、と気付く。一体どこまで歩いてきてしまったのだろうか。普段ならとっくに帰路についているはずの夕焼けが、こんなにも早く迫ってきている。

 僕は時計も持っていないし、時間を計れるようなものは本当にその沈みかけの太陽くらいだった。ポチは僕よりも先に、飼い主が迷子になっていることに気付いたようで、吠えだしたのだ。

 ふと、後ろを振り返る。ただの道だ。それこそ目印なんてない。一体どこまで来てしまったのだろう。ここはどこだろう。周りの住宅街は軒並み平坦で平凡で、目印になるようなものもなかった。


「ねえ、ここどこだろうね。」


 不安を分け合おうと、僕はポチに話しかけた。返事は無かった。だって。


 "僕がポチと呼んでリードをつけている先には、ただの空き缶しかついていないのだから。"


 ポチが吠える?そんなことあるはずない。ただ僕はリードについた空き缶を引きずって音を立てただけなのだから。夕日が沈んでいく。どんどん暗くなっていく。でも、これでいいのだと思った。そのために今日散歩に来たのだから。

 ポチが息を引き取った数年前と同じ今日、もしあの目印の電柱にたどり着けたら、何かが変わるんじゃないかと思って。


 僕とポチは生まれてからずっと一緒だった。何をするにも一緒に遊んで走り回って、特別な存在だと思っていた。それが、犬の一生は人間より短くて、ポチは僕を置いて先に行ってしまった。

 ポチはやたらと僕の食べるものや飲み物が好きな犬だった。最後に一緒に飲んだのは、ああ、なんだっけ。


 リードを引く。カラカラとポチの鳴く声がする。ポチはまだここにいる。だって、最後に一緒に飲んだはずの缶は、まだ残っているのだから。目印の電柱だってまだまだ先だ。きっと、きっとあの電柱までたどり着けば、帰り道だ。どんどん周りが暗くなっていく。日が沈んでいく。


 全く。ポチはどこまで散歩が好きなんだろう。

 僕はポチと一緒に、数年前に見たはずのあのチラシやポスターで一際目立つ電柱を探しに、カラカラと歩いていく。

 あの電柱までたどり着けば帰り道。あの電柱までたどり着けば帰り道。


 そう唱えながら歩く僕は、とうに夜闇に飲まれていた。

 ポチの鳴くカラカラという音がする。

 あの電柱が見つからない。でも、ポチが嬉しそうに鳴きながらついてくるから、僕は歩くのをやめなかった。


「電柱までたどり着いたら帰ろうね。」


 そう言って僕は、再びカラカラと歩き始めた。

2024.03.29