郷愁と後悔と......【ノスタル爺】
突然だが,このコマをTwitterなどで見たことはないだろうか.
そういうことに至ってほしいような漫画のリプでこの画像が見られたりするのですが,このコマが独り歩きしていて本来どういった話なのかは見向きもされていないように感じてしまいます.
今回はこのコマが本来どういった意味合いがあるのか,あらすじと自分の考えをお話ししようかと思います.
主人公は浦島太吉といって日本兵として戦後もジャングルに籠って戦闘をしていた人物です.「最後の皇軍」「孤島のジャングルに30年」という紹介がされており,小野田寛郎さんを思わせますが,小野田さんの帰還が1974年の3月,ノスタル爺の発表が1974年の2月なので横井庄一さんの方だと思われます.ただ,モデルにしたのは最後の皇軍という部分だけで,それ以外はフィクションだと思います.
この太吉さん,戦争から帰ってきてダムの底に沈んだ自身の村と亡くなった奥さん,里子の墓参りに来ます.この人は戦争に行く前に里子さんと結婚するのですが,子は設けずに戦に行き,里子は再婚もすることなく亡くなっていきました.太吉はそれに対して「再婚させてやってほしかった……」と案内してくれるおじいさんにこぼしますが,本人がウンとも言わなかったので「おれが悪かったんだな……結局……」と後悔します.
その中で戦争に行く際のことを回想し始めます.太吉にも動員の話があり長男だからと里子と無理やり結婚させられます.しかし太吉は学徒動員となるほど戦局が押し迫っていることから生きて帰れないだろうと覚悟を持っています.そのため,好きである里子には自分が死んだらこの家を捨てて別の人と一緒に幸せになって欲しいと願います.しかし里子は拒絶します.
そこに来るのが冒頭のコマです.
これを言われて太吉はこう言い返します.
案内人のおじいさんが里子の話をしたことで我に返り,現実に戻ります.聞いとらんかったのかともう一度話してくれます.
これを言った後におじいさんがちょっと一服といって休憩するのですが,「ちょっとそこまで」と言って一人で太吉は沈んだ村の近くへ行けるところまで行ってみようとします.懐かしさを感じて里子と別れるときのことを思い出します.
そう回想しながら歩くともう沈んだはずの樹齢千年のかしの樹の前に着きます.もう沈んだはずなのにと不思議に思いながら里子とこの樹の下で会ったこと,土蔵に閉じ込められているはずの気ぶりのじいさんがそこにいたこと.そういったことを思い出しますが,ここで何かの予感がして走り出しその先には自分の育った村がありました.
そこに子どもの頃の里子ちゃんが現れて思わず抱き着いてしまいます.すると警吏が飛んできて袋叩きにされ,「実家」である浦島家に強制的に連れていかれます.
そこで自分が浦島家の人間であると言い,信じられないが顔が浦島一族のものだということで金を与えてどこかへ行けと言います.
そうして主人公は土蔵に閉じこめられることになります.そして子どもの頃の自分と里子の会話を穏やかな顔で聞きながら物語は終わります.
実は気ぶりのじいさんは主人公自身で,抱けぇと言っていたのも主人公だったという衝撃のラストです.自身が死ぬことになるだろうからと反対していた里子との結婚,里子がずっと自分を待って死んでいったこと.そんな後悔があって,あの別れの時に里子との間に子を設けていれば里子に生きる活力が生まれて戦争から帰ってきた自分と再会を果たすことができたのかもしれない.
そんな悲痛な叫びから来るのがあの「抱けえっ!」のシーンなわけです.ただ単に良い雰囲気だからそういうわけではなく,里子を生き永らえさせるために,自身が後悔しないように,そのために叫んでいるわけです.とはいえ叫ばなければあったのではないかというのは思わなくはないです.
藤子・F・不二雄ミュージアムの企画展示でノスタル爺の最後のページの展示がありました.実はこのページはガッツリと修正が入っており,修正されたものが先ほど貼付したものでした.修正前は主人公を少し老けさせただけでなんとなく気ぶりじいさんであることはわかりますが,修正後の方がより気ぶりのじいさんと同じ容姿をしているのでわかりやすくなっています.
「ノスタル爺」の名前の通り「郷愁」がテーマとなっており,若かりし頃の後悔を今でも引きずってその後悔によって自身が郷愁に憑りつかれてしまったのでしょう.
というわけで「抱けえ」に込められた意味と「ノスタル爺」の紹介でした.ここまで読んでいただいてありがとうございました.
― 了 ―
pyocopel