愛着障害の私とADHDの息子の話
先日、知能検査の結果が出た。
私のIQは100で、それぞれ
言語理解110
知覚推理93
処理速度93
ワーキングメモリ100
という凡人オブ凡人の知能を叩き出したらしい。発達障害疑いと別の病院で言われた私は見事に発達障害ではなく「被虐待による愛着障害」という事で決着がついた。
小さい頃から何かを口に入れたがり、鉛筆はボロボロだしリカちゃんの靴の苦味なんて無くなるくらいにしゃぶり尽くし、アリを食ったら「すっぺ」と言っていて、大人になった今、とても生きづらさを感じている私は、親や身近な大人達が物心付く前からくっ付いたり離れたりする事によって人のことが信用出来ずに裏切るものとして定着しているらしい。まぁ確かに、誰のことも心の底から信用なんてしていないし、ヘルプを出すのも苦手である。なので溜め込みまくって鬱になるようだ。そして、医者から「愛着障害」という本を紹介して貰ったのでよっしゃ、知ってやろうと読んでみたが、まぁこの本、地獄の煮こごりのような本だ。まさか、我が家の事を見ていたのかというレベルに我が家の事が書かれた本だった。
普通、被虐待で苦しんでいる患者にこんな本読ませないだろ…と大いに突っ込みたくなる内容である。試しに弟と妹にこの本の抜粋の画像を見せたのだけど、口々に「地獄か」「監視カメラ付いてたんか」と言っていた。そんな家で暮らしていた疑似体験を本を読んでまたするとは思わなかった…きつい…でも「知る」為に読んでやる。過去にされた事は知らないと倒せないし。私の人生はこの愛着障害ってやつに滅茶苦茶にされていて、圧倒的にコスパが悪い人生(薬代やカウンセリング代などなど、自動車買える位費やしてるはず)なのだから、こいつの事を理解して上手く付き合って生きてやる。という決意を胸に地獄の煮こごりの本を読んでいる。
そして、私の前日に知能検査をやった息子の結果も出た。
結果として、息子のFSIQは84で、なかなかに凹凸がはっきりしており、それを見た瞬間に医者に「ADHDですね」と言われ、その場でコンサータが処方される事となった。
息子は小さい頃は喋るのも早く、歩くのも早かった。幼稚園の頃だって周りの子と変わらなかったし、みんなと同じように制作をしたり文字を覚えたり、本当に定型の発達をしてきた。
小学校2年生辺りから、周りの子と様子が違ってきた。周りの子より幼くて、周りの子よりもおっとりしていた。でもまだこの頃は「個性」だと思っていた。
そしてとうとう小5の今、周りの定型発達の子達とは変わっている子になった。授業参観に行き授業の様子を見ていると、先生の質問にワンテンポ遅れて返し、算数のテストで0点を取ってくる子になった。(でも理科や社会は平均点かそれ以上を取ってくる)息子の特性上、目で見て推測する事が苦手なので自然と算数の図形や理科の推測の問題は特に苦手だし、ワーキングメモリも低いので文字の量が多い文章題などはそもそも解く気がなくなってしまう。先に言った授業参観はまさに彼の中で最も苦手であろう「目で見て推測する」理科の振り子の授業だった。そのお陰でこの子はおかしいのかもしれないと気付いたのである意味で授業参観万々歳である。
ただ、問題は家の息子は所謂グレーゾーンと言われる所に分布される事で、それにより私のフォローも遅れたし学校でも見過ごされた。更に公的な支援(特別扶養手当や支援学級)もほぼ通らない(であろう。年明けに一応市役所に行って相談しようとは思っている。ただ、クッソ面倒臭い。だって明らかに出来る訳じゃなく、一か八かで話をしに行くのだから。)こんな事言っていいのかはわからないけど、ある意味でしっかりと障害児とわかっていた方が最初からやりようがあったなと思う。
そうすればある意味で「この子はこういう障害があるのだから仕方がない」とか「なんで周りの子は出来るのにこの子はできないの」とか、そう言った「親の教育が悪いから」「親がしっかりしていないから」などという周りからの目を気にせずにのびのびと「息子という個性」を伸ばせたんじゃないかななんて思ってしまう。多分、3年くらい無駄にした。それならもう自我が芽生えた辺りからわかっていて欲しかった。この3年分のモヤモヤは多分ずっと消えない。どうかこのnoteを見ている人で子供や自分に対して周りと違うんじゃないかとか思っている人がいるなら、近くで知能検査を受けられる病院を探して受けて欲しい。得手不得手がわかるからそれだけでも助けになるし、何かしらの障害があった時に絶対に早い方が良いのだから。