働けない私と働き者の親族の話

今日、引越し前だというのに米が尽きそうで婆ちゃんの家に行ってきた。米をついている間、ばあちゃんに近況を話した。

息子がマジックショーで浮遊マジックで登壇し、浮遊マジックを受けた話や、引越しの話などをしていた中で、ばあちゃんに「働け」「なんで働かないんだ」「みっともなくてご近所に話せない」など色々言われた。
ばあちゃんには色々迷惑をかけているし、心配だから言ってくれているのもわかっている。
なのでいつもは「わかってるよ…」「ごめんね」と言えるのだけれど、今日は引越し前で余裕も無く、更に生理前だったり、旦那が朝早く出勤で5時に起きてお弁当を作り、その後新しい家のネットの工事だったり、ガスの開通だったりでてんやわんやであり、子供たちも夏休み中なので家にいる事もあって「みっともない子は帰るね」と米をつき終わった瞬間に子供たちと共に帰ってしまった。
私がばあちゃんに対してイライラした態度で接したのは(多分)高校生以来だったので婆ちゃんもとてもびっくりしたようだったけれど、会話の流れの中で「自閉症である私の甥っ子の人生が大変であり、ローIQ(知的障害ギリギリ)でADHDの私の息子は私さえ頑張ればどうにかなる」「私や、私の弟と妹は心のどこかで母親が蒸発したから人生こうなったと思っている」と言われた事にも腹が立ってしまったのだった。
そりゃ甥っ子は大変だし、これから先色々な苦労をしなければならないのはわかっている。だがしかし、一方である程度の社会保障は受けられる強みを持っている。一方で、私の息子は頭の中がどれだけこんがらがろうと、どれだけ精神を削られようと健常者であるとみなされるので、「普通(私はこの普通という言葉が大嫌いなのだけど)の子」として生きていかなければならない。という事は、社会保障の面で言うと何も無いのだ。
それを言い返したら婆ちゃんに「僻むな」と言われた。私はただの一度も自分の子供の事に関して誰かと比べて僻んだ事もないし、甥っ子は甥っ子の、息子は息子のいい所を沢山知っている。
なのに、上記の事実を言っただけで「僻み屋」だと言われ、「私が働けないから悪いんだ」と言われ、「みっともなくて他所様に言えない」と言われた。

私の親族はみんな働き者だ。みんな一生懸命働いて凄く尊敬している。
でも私は働けない。なんで働けないかを色々考えるけれど、そこには色々な要因が詰まっているように思う。
働き者の親族たちからしてみたら、働けない私はただの怠け者で、怠け者が何か言ってるようにしか思われない。
妹のつる美さんは私の事を「社不」だと言うし、私も社会不適合者なんだろうと思う。
精神科の医者は「同じ言葉でも、心の傷付き具合は人それぞれ違うし、私さんはその傷つき具合の深さが人より深い」と言っていた。多分それもそうなんだろうと思う。ただ、それを治す方法は投薬治療では無理でカウンセリングになると言う。 
そして私は人から言われた事を何年も忘れない。例えば会話の中で出てきた何年も前の人物の名前を言われたとして「あぁ、あの○○した人ね」と言った具合で耳から得た情報は忘れにくいのだ。なので突然言われた事を思い出して辛くなってしまったりを繰り返してしまう。多分私は今日婆ちゃんに言われたことを一生忘れないと思う。

私は元々、多分仕事をする事は嫌いじゃない。仕事をするとその仕事を一生懸命こなせるし、仕事の事ばかり考えてしまう。一日中、仕事がない日も仕事の事を考えている。本当に小さい仕事でも己の事を全うしようとして必死にやってしまう。
更に小さい頃見ていた母親が、家事も料理も全て完璧にこなしていたので家事の事に関していつも「完璧でいなければならない」という意識が凄く染み付いている。例えば、仕事で疲れた日に少し楽をしようと思ってお惣菜を買う事に対して凄く罪悪感があるのである。
また、数年前に旦那に言われた「(私が)好きで働いてるんだから、僕に迷惑をかけないでくれる?」「え?子供の幼稚園のバスの送り?自分でやりなよ。好きで働いてるんだから。」「お隣さんのパパは送ってる?じゃぁそういう人と結婚したら良かったじゃん」と言う言葉が今も付き纏っているので、私が働くのは家族のためなのに好きで働いていると思われているし、子供の事をお願いするのは迷惑だから、子供の行事や子供の体調不良時の対処は全て私がしなければならないのだ。
そうなると、旦那がいるのに動きはシングルマザーの動きになる。
少し前に問題になっていた救急のコンビニ受診だって、仕事に穴を開けてはならないので看護師さんや医師に頭を下げながら行っていた。
旦那はそんな私を見ながら「正社員じゃないんだからそこまでしなくても」と言っていたけれど、仕事場で欠員が出た時にカバーをする他の人が言う愚痴も全て聞いてしまう私には、子供が熱を出したから休む事はとても悪に思えてしまった。

こんな事の繰り返しで精神が疲弊し、摩耗し、家族のために働いているのに、目の前で苦しんでいる我が子の看病をしているのは「明日の仕事に穴を開けないため」の自分が嫌になり、そういう時に限って訳の分からない言いがかりを付けられたり、持病が悪化したりして心が折れてしまう。
そして言われるのだ。「働け」「社会不適合者」「みっともない」「甘ったれ」だと。

じゃぁ私は何で働けるのか。私の適職はなんなのか。わからない。本当にわからない。

とりあえずは9月から、母親と一緒に手ぬぐいでハンドメイドのズボンを作るという話になっている。
これなら私にもできると思うし、一応母はコンスタントな売上を出しているので家計の足しにはなるとは思う。
だけれど、多分私はこの先まともに働けないんじゃないかと思っている。正直、それがとてもつらい。私は普通にはなれないのである。どう足掻いても。普通という言葉は大嫌いだけど便利だ。だから私は自分自身にも子供たちにも普通である事を望む。私が普通になれなかったぶん、子供達を普通にしようと思っている自分がいる。
普通になれない私が普通の子に育てるのは無理だと思うけれど。

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