これは、私が書いたシナリオの供養。
愛しのジェーンへ
キャシーは軽度の自閉症だ。けれど彼女は温厚で優しく、誰に対しても同じ扱いをしてきた。
キャシーは、誰に対してもにこやかに「おはよう」と言うし、誰かが困っていると「大丈夫ですか?」と手助けをするような優しい子だった。
昔から彼女の事を知っている人は好意的に受け止めてくれる。近所の人や馴染みのお店のおじさん。小さい頃は周りの人に恵まれ、優しい子に育つことが出来た。
ただ、大人になり社会に出ると、その事を好意的に受け入れてくれる人は初対面の人では少なく、キャシーが挨拶をしても無視をしたり、なにか手助けをしても迷惑そうな顔をされたりする事も多かった。何よりも、キャシーは人の言葉をそのまま受け取ってしまう。
例えば、掃除の仕事をしていた時、先輩がバケツのお水をこぼしてしまった所を見て、彼女が助ける為に駆け寄ると「これは私が1人で何とかできるから!あなたはあなたの仕事をして!」と怒られてパニックになってしまい、それ以降固まって何も出来なくなってしまいクビになるだとか、駅の売店で店員をしていた時にお客さんに挨拶をすると「うるさい!」と怒られてしまい、泣きじゃくり仕事にならずクビになったり、時にはきちんと仕事をこなせても「障害者」という理由で賃金も安く雇われていた。
なので、彼女はボロボロのアパートで、ボロボロの服を着て生活をしていた。
ただ、彼女の根本の優しさは変わらなかった。困っている人を見ると助けずにはいられない。
そんなある日、彼女が1人の老婆が困っているのを見つけた。重たそうな荷物を抱え、ヨタヨタと歩いていたからだ。
「だ、大丈夫ですか?荷物持ちますよ。」
キャシーが言うと老婆は
「ありがとう。今から家に帰る所なの。この近くだし、折角ならお茶でもどう?子供たちは寄り付かないけど、毎週スコーンを焼いてるの。ひとりじゃ食べきれなくて。」と笑った。
キャシーは快くそれを承諾した。
老婆の家に着くと驚いた。手入れのされていない庭、家の中は必要最低限しか物を持っていなかった。
「さぁ、食べて。私の作るスコーンはね、昔は子供たちの大好物だったのよ。」
そして老婆は続けた
「私の名前はジェーン。今日はあなたに助けて貰って本当に良かったわ。ありがとう。」
キャシーは「スス、スコーン、とっても美味しいです!ありがとう!あ、あの!お庭、お庭が汚いから、掃除しても良いかしら?」と伝えた。キャシーは一度気になるとその事がずっと気になってしまう性分だった。
ジェーンは「そのスコーンを食べ終わったらあなたの名前を教えてくれる?そうしたらお庭の手入れをしてもらえるかしら」と優しく明確に伝えた。
スコーンを食べ終わったキャシーは「私、キャシーって言います!お庭の手入れしてくるね!」と言い、一目散に走っていってしまった。
ジェーンはキャシーの名前をメモして、キャシーが熱心に庭掃除をしている所を微笑みながら眺めていた。そして、とある所に電話をかけたのだった。
そして、キャシーとジェーンの奇妙な関係は長い間続く事となった。
キャシーはジェーンの事をよく支えたし、ジェーンはその報酬としていくらかの手間賃をあげようとした。そんな時にいつもキャシーは「お金はいらないから、またスコーンを作って欲しい」とつたないけれどジェーンに言っていた。キャシーはお金よりもジェーンのスコーンが好きだった。
そんなある日、キャシーがジェーンの家に行くと
、ジェーンが「キャシー、私ね、今凄く悲しいの。娘のリサと電話していてね、娘が、そんなオンボロの家を売って、施設にでも住んだら?と言ってきたの」と言った。
折角仲良くなれたのに、キャシーもとても悲しい気持ちになった。そして、キャシーの思いつく中で最も名案を思い付いた。
「ジ、ジ、ジェーン、私にリサさんと電話させて貰えないかな?」
早速、キャシーはリサに電話をかけた。
「あの!あの!初めまして!わ、わた、私キャシーって言います!ジ、ジジ、ジェーンさんとは仲良しで…」
「で、他人がなんの用?家庭の問題に口を出さないで。しかも何その口ぶり。まさか障害者がママの家に出入りしてる訳?」
そう言われてすぐに電話を切られてしまった。
彼女は泣き叫びたい気持ちになったが、ここで泣き叫んだらジェーンも悲しむと思い、我慢した。我慢しなければと思えた。キャシーにとって、初めての感情だった。
その後もキャシーはジェーンの家に行き、時には庭の掃除、時には買い物、そして作ってもらったスコーンを食べながら談笑したりして、楽しい時間を過ごした。
リサにも度々連絡をした。ジェーンの様子や庭の掃除をした事や、スコーンが美味しいこと。買い物に出かけた事などをつたないけれど話した。リサはその度に迷惑そうな声色で「あぁ、そうなの。」と言うだけになっていた。
ある日、ジェーンはキャシーに「あのね、年寄りにとって一番辛いことって何だかわかる?」と聞いてきた。
キャシーは言っている意味がわからなかったので、「わからないけど、私はジェーンのスコーンもジェーンの事も大好き!」と伝えた。
ジェーンは微笑みながら「いつか、寝たきりになって誰かにお世話になる事が辛いの」と言った。
キャシーはそれを聞いて悲しくなり、叫びそうになったが、すぐに「ジ、ジェーンが寝たきりになったら、わた、私が助けるわ!」と答えた。
キャシーはそう答えながらジェーンが作ったスコーンを沢山食べた。美味しい美味しいとスコーンを食べるキャシーを見ながらジェーンは「子供たちもお母さんの事を助けるよって言いながら食べてくれたのよ」と寂しそうに笑った。
キャシーはどうにか元気を出して欲しいと「きき、きっと、子供たちもジェーンのスコーンを食べたら昔の気持ちに戻るよ!」と言って、リサや兄妹達にラッピングして手紙をつけて送った。
文字も汚く、読めるかはわからないけれど、一生懸命書いた。
数日後、ジェーンはリサ以外からの返事は無かったと涙をひと粒流した。そんなジェーンの顔を見るのが辛かったキャシーは、ジェーンを元気付けるために、精一杯考えて遊園地に行こう!と提案した。お互いに車には乗れないので、ジェーンを車椅子に乗せて電車とバスで遊園地に出掛けた。キャシーは大きな音や人の大声も苦手だけれど、ジェーンが一緒なら行けると思った。これもキャシーにとっては初めての体験だった。
キャシーはジェーンに会って少しずつ変わっている。
キャシーは身体は動かせるけれど、地図は見られない。逆にジェーンは地図は読めるけれど、身体は動かせない。道中、二人の息はピッタリだった。
「そこを右に曲がって、そうそう!そうしたら左。」
「ジェーン、次はどの電車に乗ったら良いのかな?」
ジェーンの明確な指示に反応するキャシー。二人の息はピッタリだった。二人は目的地である遊園地に着いた。ジェーンにとってもキャシーにとっても数年ぶりの遊園地で、お互いにビックリするくらいにはしゃいだ。
お化け屋敷ではジェーンが「心臓が止まるかと思った」と言うのでキャシーの方が本当に心臓が止まっていないかドキドキしてしまったくらいだった。
そしてその時は突然やってきた。ジェーンが倒れてしまった。
キャシーはどうしようどうしようとパニックになりながらリサに電話をかけた。
「ももも、もしもし!リサさん。ジェーンが倒れてしまったの。どうしたらいいかしら。わわわわ、私、わからないの!」
「すぐにレスキューに連絡をして。そうしたらキャシー、あなたも一緒に病院に行ってくれる?わかった?」
「わかった!レスキューに電話する!リサさんは来る?」
「もちろん行くわ。ただ、みんな遠い所に住んでいるから少し時間がかかると思うの。だからキャシー、ママに付いていてくれる?」
「も、もちろん!あなた達も気を付けて来てね!」
リサの的確な指示で落ち着きを取り戻したキャシーは急いでレスキュー隊を呼びジェーンと一緒に病院に行った。
病院に着いて数時間後、リサや兄妹たちがやって来た。
兄妹たちは迷惑そうな顔でキャシーを見て「誰なのこの人」「あぁ、あのスコーンの」「やっぱり障害者じゃないか」と言い始め、「大切な仕事があったのに」や「旦那と子供が」「これから介護はどうするのか」等と話をしていた。
キャシーは、ジェーンはスコーンも美味しいし良い人なのに、なぜ仕事よりもジェーンの方が大切なのかわからなかった。暴れそうだった。頭の整理が追いつかなかったからだ。自分の事ではなく、ジェーンの事で。
リサはリサで、良い気持ちはしていなかった。母であるジェーンを支え、勇気づけていたのがキャシーだと気付いていた。更にキャシーがいなかったらジェーンは最悪の事になっていた。
そしてジェーンは退院した。ただ、ジェーンが一番辛いと言っていた「誰かにお世話になる状態」での退院だった。
そんな中でもキャシーは変わらず、泊まり込みでジェーンの介護をし、時には車椅子でお散歩をしたり、リサが時々送ってくれるご飯を二人で食べたりもした。キャシーは、看護師に言われた事を事細かにメモをとり、わからなくなったらそのメモを見てパニックになる前に対処できるようになっていた。
二人の中では穏やかな時間が流れていた。ジェーンは報酬を渡そうとするけれど、決まってキャシーは「元気になったらまたあのスコーンを作ってくれれば私はそれで充分よ!」とつたなく言うのであった。
そんな生活がしばらく続き、ある朝、ジェーンは苦しみ始めた。
キャシーは焦り、どうしたらいいのか一瞬わからなくなったが、前にリサが言っていた「レスキューに連絡をする」事を思い出し、レスキュー隊に連絡をして病院に向かった。
そして、リサにジェーンが朝苦しんでいたのでレスキューを呼んだ事、今は病院にいる事を報告した。リサは「急いで行くわ」と言ってくれた。
リサとその他の兄妹を待つ間に、ジェーンは「キャシー、ありがとう。子供たちにもありがとうと伝えて。あと、大切な手紙がキッチンの棚に入っているわ」と言い残し亡くなった。
人生の中で大切な誰かを亡くす経験をした事の無いキャシーは悲しくて悲しくて仕方がなかった。久しぶりにパニックになって泣き叫んだ。そんな時、リサが到着し、彼女を抱き締めてこう叫んだ。
「キャシー!今までママの面倒をみてくれてありがとう。私たち兄妹が遠くで暮らしていた分、貴方がママを支えてくれた事をとても感謝してるわ!」キャシーはこの言葉を聞いて少し落ち着きを取り戻すと、「ジ、ジ、ジェーンが最期に子供たちに、あああ、ありがとうって」と伝えた。リサはその言葉を聞いて泣き崩れた。
キャシーはどうしたらいいのかわからず、ただリサを抱き締め、背中をさすった。
無事にジェーンを天国に送り出し、最後のお別れをした。その時はとても悲しくて悲しくて、二度とジェーンに会えないと思うとキャシーは胸が潰れそうだった。また病院の時のように泣き叫びそうになるのを堪えた。
それから程なくして、キャシーとリサはジェーンが住んでいた家の片付けを始めた。
元々少ない荷物だったので片付けこそ楽だったが、ジェーンの言う通り、キッチンの棚の中から手紙を見つけた。
「【遺言状】キャシー、今まで面倒をみてくれてありがとう。あなたが美味しそうにスコーンを食べてくれているのを見て、私は昔の子供達が帰って来てくれたのかと思ったわ。あなたが今まで生活保護を受けて生活していた事も、働くにも安いお給料しか受け取れなかった事も、あなたがみんなに優しく接していた事も、全部全部知っていたの。自分の生活に困っていたのにお金を受け取ってくれなかったわね。
私の生活を豊かにして支えてくれたのは紛れもないあなた。だから、あなたには相応のお礼をしたいと思うわ。キャシーに100万ドルとスコーンのレシピを相続して貰います。リサには同じく100万ドル。リサはなんだかんだ私の事を心配して連絡をこまめにくれたり、色々な手続きをしてくれたからね。その他の子供たちはそこから差し引いた額を均等に分けるように。ジェーン」
受け取ったレシピはこと細かにわかりやすく分量や焼き時間も書かれていた。キャシーにも作れるように。
そして裏面には「寂しくなったら、私のお墓に来てね。あなたはいつも私の話を聞いてくれたわ。今度は私が聞く番よ。」とジェーンの文字で書かれていた。
キャシーは100万ドルがいくらなのか、さっぱりわからなかったけれど、この遺言状を見た他の兄妹たちが自分達より貰う額が多い障害者のキャシーに対して文句を言ってきた。キャシーがパニックになりかけた時、それを聞いていたリサが
「あんた達いい加減にしなさいよ!キャシーはね、毎日毎日ママの所に行って、草刈りや買い物の手伝い、ママの相手、ママの面倒をみてきてくれていたの。しかも無給で。あんた達は何かした?ママが連絡をしても面倒がって連絡の一つも寄越さなかったじゃない。少なくとも、あんた達よりもキャシーの方がママに貢献していたのをわたしは知っているわ」
と兄妹たちを一蹴した。更に「障害者、障害者って言うけど、キャシーはあんた達よりもよっぽど立派よ!ママの話を聞いて思ったわ。誰に対しても平等に親切にする心を持つ人間を差別するなんて許さないから!」
キャシーは知らなかったけれど、どうやらジェーンの旦那さんは元々投資家で、各地に土地を持っていて、物凄くお金持ちだったらしい。その旦那さんが亡くなった後ジェーン本人は生活に困らなければ良いと、質素な生活を続けていたようだった。
ただ、自分が亡き後、愛する子供たちの為にお金を残す事も良いけれど、相応しい人がいないかと探したが見当たらず、偶然出会ったキャシーの行為や行動を見て調査会社にキャシーについての調査依頼をしていたらしい。
その後、ジェーンの家を買い取ったキャシーは、貰ったスコーンのレシピと相続したお金を使って、お店を作った。世界中の人にジェーンのスコーンを食べて幸せになって欲しかったからだ。
ジェーンの家にはもちろんキャシーがそのまま住んだ。そこにジェーンは居ないけれど、ジェーンが戻って来そうな気がしたのだ。
お店の名前は「ジェーンのスコーン屋さん」このお店はキャシーと同じような軽度の障害がある人を積極的に雇い、キャシーがジェーンの介護をした経験からマニュアルを全てわかりやすく事細かに書いた。マニュアルを細かく書いておけば、何か混乱する事があってもパニックにならずに済む。
そして、丁寧すぎるくらいな接客と誠実な人達、そして何よりどこにも真似出来ない美味しいスコーンが食べられる上に、障害者でもきちんとした給料や待遇で働ける場所として有名になり、チェーン店となった。キャシーの秘書にはリサ。彼女も、最初こそキャシーの事を迷惑がってはいたものの、ジェーンと電話で話していく内にキャシーの事をどんどんと好きになった一人で、スコーン屋さんを始める時に力になりたいと申し出てくれたのだった。
そこから二人は二人三脚でこのジェーンのスコーン屋さんを成長させていった。リサはジェーンに似て指示が明確だった。
そして、社長になっても尚、キャシーは週に一度ジェーンのお墓に行く。スコーン2つとお花と飲み物を持って、ジェーンに話しかけるように二人でお墓で話をする。キャシーにとって一番大切な時間だ。「ねぇジェーン、今週はこんなことがあったのよ。」毎週毎週、キャシーはこんな風にジェーンに話しかけるのだ。
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