ディズニーシーの「ソアリン」に乗って分析したこと
この間約10年ぶりにディズニーシーに行ってきた。
浦島太郎状態で、どこに何があるのか大まかにはわかるものの、本当に大まかになので「大体この辺にこれがあったような…?」という気持ちであやふやな、ふわふわした感覚で行ってきた。
ソアリンが出来た当初、Twitter等で「ソアリン凄かった」「ソアリンヤバい」としか言われていなかった。みんな語彙力がバカになっている。もはや凄い以外言えないbotになっていたのを覚えている。
なので、何が凄いのか。それとも凄い、ヤバい以外言ったらダメという同意書でも書かされているのか、はたまた凄い、ヤバい以外を言ったら消されるのかと思ってドキドキしていた。そして、みんなが語彙力が低くなる理由を乗りながら考察した。
このソアリン、物凄く計算された室内型ライドだな。と思った。
人の見たい場所、見たくても行けない場所、見たくても行けないアングルで描き出されるリアルすぎるくらいリアルなCGと、人に考えさせないタイミングでトントン拍子に進む場面転換、捻くれ者で、はなから「なんでみんな語彙力が低くなるのか」という気持ちで入っている私ですらも、それを忘れて泣きそうになってしまうくらい素晴らしいなと思った。もし私が34歳じゃなかったら素敵すぎて泣いてたと思う。
また、香りもついてきていた。砂埃の香りだったり、良い香りだったり、場面場面によって香りが変わる。技術力。
最後の最後で日本の夜景に変わり、花火が上がる。そしてどんどんとその花火のど真ん中に入っていく。花火の中に入ったらまぁ四肢爆散するので出来ない訳だけれど、それをとことんマイルドに仕上げて生きていながら花火のど真ん中を見せてくれる訳だ。そしてその時も振動がくる訳なのだけど、それもとことんマイルドにされて生きていられるようにしてくれる。これも技術力。
なるほど。これは確かに斜に構えた人間じゃないと凄い以外出てこない乗り物だと思った。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の内の4つを「技術」というパワープレイでねじ伏せられ、更に思考を与えさせない見事な場面転換によって「こまけぇこたぁいいんだよ!!こういう乗り物なんだよ!」とこちらもまたパワープレイでねじ伏ている。だからみんな口を揃えて「ソアリン凄い」「ソアリンヤバい」しか言えなくなるんだな。
人間は自分のキャパを超えるものに出会うと語彙力が低くなる。みんな技術力と情報量の多さからキャパを超えたんだと思う。
降りる時に自然とみんな拍手をしていた。多分これは全ての技術者への尊敬の念の拍手だと思う。
ソアリンに乗った直後の人達全員が「凄かった」「やばかった」しか言えていなかった。多分あそこで純粋にソアリンを楽しんでいなかったのは私だけだと思う。
ディズニーすごい。流石夢と魔法の大国だ。金をじゃぶじゃぶ使って作っている。技術者も涙目。アレを1から作れって言われて涙目にならない技術者はいないと思う。全ての技術者さん達、ありがとう。
余談だけれど、まだ入れたてのポップコーンバケットを甥っ子が落としてしまい、殆どのポップコーンが床に落ちてしまった。娘にキャストさんを呼んできて貰うように頼み、甥っ子をなだめていたらキャストさんが来てくれた。
キャストさんが来て暫くすると今度はカストさんが来てくれた。流石カストーディアル、掃除のプロ。キャストさんよりも数倍早くポップコーンを片付けてくれた。曰く「僕はポップコーンとお友達なので片付けるのも早いんですよ」だそうだ。
このポップコーンのお兄さん。流石ディズニーキャストなだけあり、機転が利く。
「ポップコーンの量を見るに、もしかして結構入ってました?」と聞いてくれた。なので、買ってきたばかりな事、味はすぐ近くのポップコーン屋さんの物だと言うと「じゃぁ僕ちょっと貰ってきます!ポップコーンとお友達なので、もう少々お待ちください」と。
お兄さん、ポップコーンとめちゃくちゃ仲良しだなと思いつつ、パニックになりそうだった甥っ子も落ち着きを取り戻し、ポップコーンのお兄さん優しいねぇと言っていた。
数分後にお兄さんが戻って来てくれた。丸々新しいポップコーンの紙袋を持っていた。
私が「ありがとうございます!お代お支払いします」と言うと「良いんですよ!僕!ポップコーンと友達なので!」と言い「この後も楽しんで!」と見送ってくれた。
こういう所よディズニー。ホスピタリティの塊。ディズニーキャストにも尊敬の念でしかない出来事だった。
10年ぶりのディズニーシー、私は未だに疲れを引きずっており、一昨日行ったのだが、まだ筋肉痛が治っていない。でも、行けて良かった。楽しかった。
子供たちも同じ気持ちなようで、乳児期に行ったきりだったディズニーシーの思い出が新たに塗り替えられた。