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遣隋使

隋は589年中国大陸統一したそうです。

今日も中学 歴史から。

我が国は第33代推古天皇の時代。初の女性天皇の時代ですね。

獲加多支鹵大王こと、雄略天皇が中国王朝の冊封制度から脱却して、100年以上経ちましたが、中国王朝は、宋が滅び、隋が成りました。

せっかく大和朝廷独自の国を作ろうと、雄略天皇の戦略。

しかし、他国の進歩に遅れてはならないと、600年から隋へ使節団を派遣しました。これが遣隋使です。

この後、天皇という敬称が生まれることになりますが、この時は

新たな中国王朝である隋から進んだ文化と制度を取り入れ、隋とは対等な地位を築くことが目的でした。

それにより朝鮮半島での影響力も保つことができると考えたのです。

隋が618年に滅亡するまで、遣隋使は5次を数えて、日本は先端文化を取り入れていき、天皇という敬称を用いながら、中国皇帝への配慮を示した上で、冊封制度からの独立は黙認させたのです。

つまり、日本は独立国として、中国王朝から黙認されたことになります。朝貢はすれども冊封は受けずの立場を勝ち得たのですね。

実はこの外交政策をスタートさせたのが、推古天皇の摂政、聖徳太子、厩戸皇子、皇太子であった聖徳太子でした。

智者なんですねえ。


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