伊勢神宮と三種の神器
今日は中学 歴史より、youtube竹田学校から学んだこと。
第10代崇神天皇は、天照大神としてお祭りしていた八咫鏡を宮中から外に出したことがあります。これは1800年前、三世紀初めの頃の話。
この頃のヤマト王権は疫病に苦しめられたようです。時の天皇、第11代垂仁天皇は倭比売命ヤマトヒメノミコトに命じ、ここよりも天照大神を祭りするには、もっとふさわしい場所でなければならないので、倭比売命が八咫鏡を持ち、祭るにふさわしい場所探して、行き着いた場所が五十鈴川の畔、伊勢の神宮の内宮に当たる場所になりましたとのことでした。
でも、占いを後にしたら、疫病の原因は天照大神の祭り方ではなく、三輪山の神である大物主神を祭る人の間違いであることがわかりましたので、今思うと、八咫鏡を移すことはなかったのかな?
それはともかく、もう八咫鏡は宮中にはないのか、そんなことはありませんとのこと。
倭比売命が持ってお祭りした八咫鏡と同じものを天皇は作らせ、御霊移しを新しい八咫鏡にして、これを形代というそうですが、形代の八咫鏡は宮中に、本物の八咫鏡は倭比売命が伊勢の神宮でお祭りしていることになりました。
実はこの時、草薙剣も形代が作られていて、形代の草薙剣は宮中に、倭比売命が本物の草薙剣を持っていたそうです。
八尺瓊勾玉は形代がなく、今でも本物一つが皇居でお祭りされているとのことですが、どんなものなのか、天皇でも見ることが許されないものなので、イメージ図しかわからないですよね。
壇之浦の戦いで安徳天皇と沈んだ三種の神器は、形代の八咫鏡、形代の草薙剣、八尺瓊勾玉だったことになります。
それも、海女さんを大勢動員して、徹底的に探して、海岸に打ち上げられているのを見つけたんだそうです。
初めて知りました。
だから、今でも本物の
八尺瓊勾玉は皇居で存在し、
八咫鏡は伊勢の神宮、
草薙剣は熱田神宮にお祭りされているとのこと。
1800年前、崇神天皇が疫病の災いを祓うために移動させた三種の神器。
それから一度も一緒になっていない。
皇居にあるのは、今も形代の八咫鏡、形代の草薙剣、本物の八尺瓊勾玉。
いつか、一緒になる時はあるのか、その時はどんな時代なんだろう、ワクワクしますね。
あ、草薙の剣はなぜ熱田神宮に祭られているのか。
第12代景行天皇の時代、息子に荒々しい性格の倭建命ヤマトタケルノミコトがいました。父の景行天皇に恐れられ、西征、東征を理由に遠ざけられました。
思い悩んだ倭建命は、途中叔母の倭比売命に嘆き悲しむと、倭比売命は草薙剣を倭建命に賜ったのでした。
東征に成功した倭建命ですが、途中で亡くなってしまいました。残った草薙剣をお祭りしたのが尾張の地、熱田神宮となりました。