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仕事で関わりあるインド系の人たちに気軽に聞ける内容ではない。『カーストとは何か インド「不可触民」の実像』| 読書日記

今回は、鈴木真弥先生の『カーストとは何か インド「不可触民」の実像』の読書日記です。

コテンラジオのムガール帝国編を聞いたことをきっかけに本書を読んでみました。

ぼくが住んでいるシンガポールでは約10%がインド系です。さらに、仕事がITシステム屋なのでインド系の人たちと関わる機会も多いし、インド料理が主食と言ってもいいぐらいインド料理を好んで食べてます。

しかし、カーストについては「いくつかの階層の序列があって、最下層が差別の対象になってる」ぐらいの浅い認識で何もわかってなかったのですが、本書のおかげで、カーストの歴史と背景、実態のイメージを少しは掴めたと思います。

ですが、複雑なカースト制の本質をわかったとはまだまだ言えない感じでして、カースト制を単純化しすぎて認識するのは良くないなと感じつつも、①2つの概念、②ガーンディー、③インド政府の観点で、印象に残った点をポイント絞ってまとめてみたいと思います。



カーストは2つの概念の組み合わせ

まず、そもそものところでカーストの2つの概念をおさらいしたいと思います。

カーストとは、「ジャーティ」(生まれの意)という分業体制・相互依存関係と、「ヴァルナ」(色の意)という序列化された身分関係の2つの概念が組み合わさったもの。「ヴァルナ」は、もともと紀元前1500~1200年頃に、北方からインド亜大陸に進出したアーリヤ人が自分たちと先住民を区別するために用いた言葉。そして、8世紀頃から地域単位で定着した「ジャーティ」の慣習と「ヴァルナ」の階層理念が合わさって、身分的に位置づけられていったとのこと。

ジャーティとは、分業体制に基づいた相互依存的な人間関係である。貨幣制度がなかった昔、インドでは壺を作る集団が、換わりに米をもらうなど自給自足的な社会だった。職業を代々世襲し、結婚関係は親が取り決めるなど閉鎖的な各集団のあいだで、生産物やサービスのやり取りが行われていた。

ヴァルナとは、バラモン(祭官階層)、クシャトリヤ(王侯・武人階層)、ヴァイシャ(平民階層)、シュードラ(上位三ヴァルナに奉仕する隷属民階層) の四種姓から成り、バラモンが一番上に位置する序列の枠組みである。日本では歴史教科書に記され、一般に理解されるカースト制はこれだろう。

カーストへの意見や理解はインド内でもさまざま

次に、インド独立の父で有名ーのカーストへの考えが印象的だったので、すこしまとめてみます。

ガーンディーは、職業の世襲は健全な分業と考えておりカーストについては肯定的な立場だった。ただし、カースト間の序列は本来のカーストのあるべき姿ではないという意見で「優劣のないカースト」を求めていた。

一方、カースト制廃止論者の政治家・社会活動家のアンベードカルは、ヒンドゥー教こそがカースト制を擁護する悪しき教えであると主張し、死の直前に仏教に改宗。数十万の集団改宗のきっかけとなった。

不可触民に対する2人の政治的意見は真っ向から分かれていて、ガーンディーの意見は、不可触民はヒンドゥー教徒であり差別意識はなくすべきだが、不可触民に固有の政治的権利を認めない(不可触民に一定の議席を与えない)。アンベードガルは、不可触民はヒンドゥー教徒の一部ではなく別個の存在で、不可触民のコミュニティの代表者を議会に選出すべきと主張した。

より正確に言えば、ガーンディーは現在のカースト制について、本来のカースト観の歪曲であり、正しいヒンドゥー教観に基づくヴァルナーシュラマを再建すべきとした。それは人間の世俗的野心を抑制する宗教的配慮に基づいた社会システムだった。ガーンディーが強調したのは、ヒンドゥー教徒は出生によって定められた各自の職業を義務として遂行しなければならないこと、各ヴァルナ間に上下・優劣の問題は存在せず、万人が平等な地位に置かれていることだった。

ガーンディーの不可触民問題解決への基本的立場は、次のようにまとめられる。不可触民は紛れもなくヒンドゥー教徒であり、不可触民の悲惨な状況はヒンドゥー教の最大の汚点である。ガーンディーのめざす不可触民解放運動は、不可触民に差別を強いてきたカースト・ヒンドゥーにとっての贖罪であり、不可触民への無私の奉仕と心情面から差別意識を取り除くことである。それゆえ、ヒンドゥー教徒である不可触民に、アンベードカルが要求していた別個の政治的権利を与える必要はないというものだった。

インド政府の原因・課題設定

最後に、清掃カースト、特に屎尿処理に対するインド政府の立場が考えさせられる内容でした。

インド政府の基本的な立場は、社会的地位の低さや不可触民差別の原因を、職業的性質、つまり、人糞などに直接接触しなければならない不潔な労働環境に因るものとした。その原因に対して、「不潔な労働環境からの解放」を目指し、具体的には、「屎尿処理人・清掃人の社会経済的状況の向上」と「公衆衛生の改善」に向けて、水洗式便所の設置等のテクニカルで実用的な施策を進めた。つまり、インド政府が力を注いだのは屎尿処理人の労働環境であり、カーストに基づく職業構造やカースト制自体は何も変わっていないというもの。

個人的には本書で最も印象的な箇所であり、労働環境の改善ももちろん重要ですが、そもそもの原因・問題・課題設定が正しいと言えるのか・・・。

おわりに

なかなか重たいテーマですが、現代社会でインドの相対的価値や立場が高まっている中で目を背けてはいけない内容だけど、仕事で関わりあるインド系の人たちに気軽に聞ける内容ではないので、本書で少しは理解が深まってよかったです。

仕事では、ものごとの本質をとらえて、ポイントを絞ったり、単純化・抽象化・概念化したりして、わかりやすく共有・報告することを日々意識して取り組んでいますが、カースト制は非常に複雑であり単純化しすぎて認識するのは良くないなと感じています。まだまだ本質を捉えられていない感じですので、他の本を読んだりして理解を深めていきたいです。

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