タイ語の覚え書き ทศพร(トッサポーン)
あれこれ調べたことをせっかくなのでメモしておくための記事です。きっかけはSingtoさんでも内容は欠片も関係ありません。
前置き
あれは2023年5月の初旬でした。5月20,21日に東京で開催されるタイフェスティバルにSingtoさんが出演されるというので詳細を楽しみに待っていたときのことです。公式アカウントから発表されたステージのタイムテーブルを見て、Twitter上では「?」が飛び交っていました。
「Singto Prachaya」と書いてカタカナで「シン・トーサポーン」の振り仮名。更によくよく見ると、出演者の中にもうお一人「Sin Singular」と書いて「シン・トーサポーン」さんがいらっしゃるではありませんか。
何らかの誤表記なのは明らかなのですが、一体何でこんなことになったのだろうと気になったのでまずもうお一人のSinさんのことを検索するところから始めました。
お名前とお顔はお見掛けしたことがありますし何かの機会にYouTubeで1,2曲お聴きしたこともありましたが、詳しくは存じ上げなかったのです。少し検索するとすぐに見えてきました。
Sinさんはお名前をซิน ทศพร อาชวานันทกุล(Sin Tossaporn Achawanuntakul)といい、かつてSingular(シングラー)という音楽ユニットで活躍されていました。当時はシングラーのシンさんでシン・シングラーという名前で活動されていたようなのですが、Singular解散後は「SIN」という名義で活動していらっしゃいます。
日本でCDも出されていますので、日本語の記事も検索すればいくつかすぐに出てきます。
(SINさんについて書かれた記事の一例)
https://www.daco.co.th/information/339925/
つまり、SINさんのお名前の「Sin Singular」表記はかつてのユニット時代の名残りで、「シン・トーサポーン」表記はご本名由来だということです。あっさりと謎は解けました。
(このタイフェスティバルの当時、すでにSINさんは何年も「SIN」名義で音楽活動をされていました。なぜユニット時代の名称やあまり馴染みのないご本名をチグハグにタイムテーブルに掲載したのかという部分は不思議なままですし失礼な話ではないかとは思います。更にSinとSingtoが似ていたからなのかSingtoさんのお名前も取り違えるという失礼の重ね塗りです。ただ、一番の疑問点「Singularとは?トーサポーンとは?」は検索してみれば割と難なく解消された、ということです)
ここで謎の誤表記そのものの他にもう少し心に引っ掛かることがありました。それは「トーサポーンって何?誰?」という単純な疑問の他に、その人名を揶揄するようなニュアンスに取れるコメントも散見されたことです。日本人からすると、確かにちょっと面白い響きだろうと思います。わたし自身「ニャホニャホタマクロー」さんの名前で大笑いした世代で、あまり他人のことをとやかく言えたものではありません。でも、どこのどなたか分からないまでも少なくともどなたかタイ人のお名前だろうものをオモチャのようにされている様子は愉快ではありませんでした。
タイの人たちは改名に抵抗がないだとかチューレンは適当だとかいう話もよく聞きますが、少なくともこの三年ほどいわゆるタイ沼に滞在してみて、タイの人たちが自分たちの名前について愛着も尊厳も持っておらず揶揄されることにも寛容であるとはとても言えないのではないかと感じます。
チューレンは確かに「適当だね⁉」と思うことも多いですが、本名は何らかの意味や由来があることが多そうです。
改名にしても、この三年の間に改名された俳優さんはお二人しか知りません。どちらも詳しい事情は分かりませんが、人生を好転させたいとか人生の転機にとか、そんなタイミングで縁起のいいお名前に変えたのではないかなと感じました。
じゃあこの「トーサポーン」さんにも何か意味があるんじゃないかな、ちょっと調べてみようか、と思ったわけです。それから、ทศพรと書いてこれでトーサポーンと読むの???というタイ語独学初学者の疑問も生じていました。更に、このトーサポーンというお名前が、もしかするとSingtoさん出演『Paint With Love』の登場人物と同じなんじゃないかなというのも調べる動機になりました。
前置きが長くなりましたが次からが本題です。これはタイ語の覚え書きです。
ทศพร(トッサポーン)とは
先に書いてしまいますがこのお名前はより忠実にカタカナにするなら「トーサポーン」ではなく「トッサポーン」になるでしょう。
①泰日辞書を引く
いつも頼りにさせていただいている「ごったい」と「コトバンク(プログレッシブ タイ語辞典)」でทศพรを引くも、出てきません。
分けて引きます。まず一つ目のかたまりのทศから。
発音は thót トット
サンスクリット由来の「10」だと出てきました。
頭にทศがつく単語として、
・ทศวรรษ thótsawát トッサワット 10年間
・ทศนิยม thótsaníyom トッサニヨム 少数
という単語も出てきます。単独だと「トット」なのに後ろに何かつくと「トッサ」になります。とりあえず次を調べます。
二つ目のかたまりพรはどうでしょう。
発音は phɔɔn ポーン
意味は「祝福」だそうです。
พรと書いてポーン。なぜ。せめてポンではないのか。一から真面目にコツコツ勉強してきたわけではないテキトーな独学者は躓きました。
こういうときに大体答えを書いてくださっているサイト「タイスタ」を今回も参照させていただきました。やはりドラマの台詞を理解するためにはタイ文字を真面目に覚えないといけないのではないかと重い腰を上げたときに沼の先輩からおすすめしていただいたサイトで、結局いつまでも真面目に勉強することはできていないものの何かと参考にしています。
だそうです。従ってพรと書いてポーン。
②泰英辞書を引く その1~発音の確認~
次に、泰日では出てこなかった「ทศพร」を泰英辞書で引いてみます。
一つ目の辞書
この辞書は発音を書いてくれるのでありがたいです。
tót-sà-pon [ ทด-สะ-พอน ]
とっ(t)さぽーん、ですね。
泰日でทศが頭につく他の単語を見たときと同じです。
ここで、一つ一つのときには「トット」&「ポーン」だったものがくっつくと「トッサポーン」になる仕組みを確認します。これは「末子音字の一字再読」ルールによるものです。
先ほどと同じサイトを参照します。
覚えるしかないのか…。
面白いことが書いてありました。
この「末子音字の一時再読」をわたしは勝手に「シンラピンの法則」と呼んでいます。
・ศิลปิน(芸術家) สิน-ละ-ปิน sǐnlápin シンラピン
ลをnとlaとで二回読みます。
Singtoさんの『รักจะตาย My Miracle』での役名・マッカワットさんもこの法則に当てはまります。
・มรรควัตร(マッカワット)
มรรค mák(マック)とวัตร wát(ワット)がくっついてmákwátならぬmák-ka-wátに
なんでมรรคでマックなんだよと新しい疑問も出てきてしまうのですが、それも先ほどのサイトに解説がありました。
さて、本題に戻って辞書で引いたทศพร(トッサポーン)の意味を見てみましょう。
①ten blessing 10の祝福
②the 1st part of the story 話の一番目の部分
うーん、何のこっちゃです。
①はそのまんまですが、そのまんまで辞書に載るような名詞になっているというのはどういうこと?②は和訳はできても意味が分からない。
②泰英辞書を引く その2~意味を深掘りする~
次にいきましょう。二つ目の辞書を引いてみます。
やっと意味が見えてきました。
どうやらこのトッサポーン(10の祝福)というのは、仏陀の生涯の話か何かの第一章のタイトルなのです。
英語の部分を見てもそれしか分からないので、タイ語で書かれた部分を詳しく見ていくことにします。
一つ目のこの部分を訳します。
Example: ทศพรเป็นกัณฑ์แรกของการเทศน์มหาชาติ,
Thai Definition: ชื่อกัณฑ์ที่ 1 ของมหาชาติ ว่าด้วยพร 10 ประการ, Notes: (บาลี/สันสกฤต)
(例)トッサポーンはマハーチャートの説法の最初の章です。(タイ語定義)マハーチャートの一番目の章の名前。十の事項の祝福とも言う。(注記)パーリ/サンスクリット
มหาชาติ(マハーチャート)とは
「トッサポーン」は「マハーチャート」なる説話か何かの第一章のタイトルである、じゃあそのマハーチャートって何なんでしょう。
とりあえずまた辞書を引きます。日本語で出てきたらラッキーなので前述の泰日辞書をまた二つ引いてみますがヒットせず。
มหาชาติ(マハーチャート)がมหา(マハー)とชาติ(チャート)の組み合わせであることは想像がつきます。
このชาติ(チャート)という語は頻出の割に訳しにくいことが多く苦手な単語です。この二番目の意味「~世」に遭遇することが多いのですが、辞書の例文にもあるように他の語と組み合わされて「前世」「来世」「今生」のような使い方をします。ただこのように前とも来とも今とも付かない場面も往々にしてあり、言わんとせんことは分かるような気がするもののどうしたものかなと悩むのです。
改めてชาติ(チャート)を泰英辞書で引いてみると、このような意味が出てきました。
この③ですね。
こういうことです。
こういうことなんですが、じゃあどう訳すのがスマートなのか。
ここから先の調べものの話にも直結するのですが、翻訳というものは本当に難しいなと思います。「ニュアンスは分かるけど上手な日本語にできない」という基礎的な日本語の語彙力の問題。また日本語力とは別に専門用語等を知らないと正しい翻訳にならない場合も多々あります。
非常に簡単な例で言えば、タイ語で冷蔵庫は「ตู้เย็น」と書きます。これは「ตู้(棚)」と「เย็น(冷たい)」の組み合わさった単語です。「棚」と「冷たい」をタイ語と日本語できちんと知っていたとしても、これを「冷たい棚」と訳してしまうと直訳ではなく誤訳になるわけです。対応する日本語には「冷蔵庫」という定まった名詞があるのですから。
というのが、ここから先の調べたことを記載するにあたっての言い訳です。タイ語も分からなければ日本語に秀でているわけでもなく、更に仏教についても門外漢でましてやタイの仏教について何を知っているのかという身でいますので、もしもここまで読み進めている奇特な方がいらっしゃいましたら専門用語の頓珍漢な捉え違いや翻訳の間違いが大いにあり得るということをご念頭にお読みいただけるとありがたいです。
話をこのมหาชาติ(マハーチャート)に戻します。というわけで、これをエイッと乱暴に訳してしまうならば、「偉大な人生」とでもしておけばよいでしょう。
先ほどの泰英辞書にมหาชาติ(マハーチャート)の項があります。
もうちょっと説明してくれよっていう感じです。
もう一つ引きましょう。
具体的に想像がつく説明が出てきました。仏陀のVessantara(とは?)としての話、または仏陀の最後の輪廻の一生の話。
こうしてタイ語や英語で検索して調べていると中々分かりにくく路頭に迷いかけたのですが、日本語で調べると実はたくさん説明が出てきます。一例を引用します。
また話が横道にそれますが、いまわたしが「調べる」と言っても、そのほとんど100%がインターネットで検索するだけのことです。図書館へ行かなくてもパッと検索すればこれだけの調べものができるというのは便利になったなと思う反面、インターネットでは網羅されていない情報があるのだということも経験として知っています。専門的なことになればなるほど、そうです。先日、音楽のサブスクリプションの話を聞く機会があり同じようなことを感じました。大量の音楽がカタログのように整理されいつでも好きに選べる時代にはなったものの、カタログに記載されていない音楽というものも確かにまだまだ存在している。便利で豊かになったようでいて、カタログに掲載されないものは従来よりも更に一層聴かれなくなっていく…。
さて、先ほど乱暴に「偉大な一生」と訳したものには、きちんと「大生経」という名称がついていました。感動しました。大袈裟でなく、これが先人の知恵であり、受け継がれるべき人類の宝だと思います。
そしてこの短い一見分かりやすい文章の中に知っているようで知らない単語が並んでいます。ジャータカとは。釈尊とは。仏陀とは。
ここで、もう一度タイ語に戻ってタイ版Wikipediaを見てみましょう。
何を隠そう、日本語の解説を読む前にこれを自動翻訳にかけてあまりの意味不明さに天を仰いで一度考えるのをやめたのです。
(自動翻訳)
マハチャットとは偉大な国家、偉大な誕生を意味します。菩薩が晩年に仏陀として悟りを開く前に、最後の徳を実践するために生まれた菩薩の誕生を指します。
丁寧に単語の一つ一つを調べ、かつ日本語の解説をあれこれ読むことでやっと分かってきました。一区切りずつ訳していきます。
この偉大な一生・偉大な回の誕生というのが、つまりただ単純に素晴らしいと褒めているという意味ではなく、お釈迦様がお釈迦様として生まれる前に諸々転生を経てきたその最後の前世のことを指しています。
ざっくり言うと、お釈迦様の色々な前世の説話集を「ジャータカ」といい、その最後の前世について書かれたものが「マハーチャート」です。
พระเวสสันดร ヴェッサンタラ、というのがこの生でのお釈迦様です。
โพธิสัตว์ 菩薩
菩薩と仏陀とお釈迦様は何が違うんですかと調べた結果、ここでは区別が付きやすいようにお釈迦様個人をお釈迦様と呼ぶことにしました。
いまの日本で一般的に菩薩という場合は、このように悟りを得た仏(仏陀)になるための修行中の身の者を指すわけですね。つまり菩薩も仏陀も、特定の一人を指す名詞ではなく、何人もいる。
ただし、ここでいう菩薩はこの「もと、釈迦牟尼の前生における呼称」です。それがこのマハーチャートではヴェッサンタラ王子というわけです。
続きです。
本題を忘れそうになっていますが、このマハーチャートの第一章が、トッサポーン(10の祝福)なのでした。
ここまでこのタイ語Wikipedia「マハーチャート」の項を参照してきたのですが、なんだか分からないのですが詳細は「マハー・ヴェッサンタラ・ジャータカ」の項にあります。同じ物のことなんじゃないかと思うのですが、もう考えることに疲れてきたので素直に「マハー・ヴェッサンタラ・ジャータカ」を見ますと、トッサポーン(10の祝福)という単語がやっと登場します。
มหาเวสสันดรชาดก(マハー・ヴェッサンタラ・ジャータカ)のกัณฑ์(章)の項目を見ます。
丁寧に訳しませんが、要するに13章あるうちの第1章が「トッサポーン(10の祝福)」であり、インドラ神が後の世でヴェッサンタラ王子の母となる女性に10の祝福を授けたというお話です。
やっとスッキリしました!
ヴェッサンタラ王子の一生のお話についてはこの項に続けて記載がありますし、日本語でも検索すればいくつも解説が出てきます。でももうここまででいいことにします。
ทศพล(トッサポン)はทศพร(トッサポーン)じゃなかった
そして最後に、この「トッサポーン」について調べようと思わされた動機の一つ、Paint With Loveに登場する人物についてです。
「トーサポーン」と聞いたときに、「何だか聞き覚えがあるな。もしかして一緒かな」と思った人物が、彼です。(3話より)
わたしは主にGagaOOLalaの英字幕で視聴していたのですが、その字幕は「Tossapol」でした。彼の名前が字幕で登場するのは6話のこのシーンだけです。英語の字幕だけではこのトッサポーンさんと同じなのかどうか分からない。
余談ですが、この「Tossapol」をカタカナでどう表記すればよいのか悩んだわたしは日本語字幕版を配信しているU-Nextに加入している先輩に頼んで確認してもらったこともありました。
U-Nextの選択はなんと「先方」でした。名前が出てない!
ここでも感動しました。何のヒントも得られず大変ガッカリしたことは間違いないのですが、この選択は非常に秀逸だと思います。
というのは、少なくとも英語字幕で彼の名前が出てくるのはこの6話のこの場面の一度きりです。これまでも何度も登場しているにも関わらず、彼の関わるエピソードの終盤になってこの顔も出ない場面で初めてです。正直、面食らいました。「誰の話?そんな人いた?」と思いました。それなら最後まで名無しで通したほうがスマートです。字幕に反映されないもののタイ語では名前が出ていた可能性もありますが、出ていなくても全く不思議ではないのがPaint With Love。脚本段階のミスなのか再構成していくなかで生じた綻びなのか分かりませんが、大いにあり得ます。そういうところも含めて好きなseriesなのですが。
さて、原作の小説でスペルを確認すると「ทศพล(トッサポン)」さんでした。違う。「ทศพร(トッサポーン)」さんじゃない。
既出の二つの泰日辞書では出てきませんが、泰英辞書で見つかりました。
仏陀だそうです。
最初のทศ(トット)はทศพร(トッサポーン)と同じ「10」の意味です。後半のพลは「力」です。
พล(ポン)はพร(ポーン)と違ってセオリー通り「ポン」です。伸びません。
以上、ทศพร(トッサポーン)についての覚え書きでした。
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