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5歳の男の子と真剣に遊ぶ自分が結構好き、という話

「だーるまさんがーころんだっ!」

長い廊下の端っこで、恥ずかしげもなく大きな声を張り上げ、全力で振り向く。

「かけっこ」の姿勢のままピタリと静止した5歳の男の子は、私の最年少の友人であるUくん。

キラキラした瞳、満面の笑顔、そして、口から漏れるクスクス笑いが、大人の遊び心に火を付ける。

「だーーーるまさんがーーーころんだっ」

さっきより抑揚をつけて、より大袈裟に振り向くと、目の前まで近づいてきた彼が、私の腕をタッチして、猛ダッシュで逃げていく後ろ姿が目に入る。

反射的に床を蹴って走り出し、後を追いかける。

甲高い笑い声をあげながら、廊下の端っこまで逃げ切るUくんを追いかけ、完全に息があがるワタクシ。

全力の「だるまさんがころんだ」。
みなさんが最後に遊んだのはいつでしたか。

自分の息子に対してすら、こんな風には全力で遊ばなかったような気がするのに、Uくんといると、いつのまにか同じ目線で、同じ景色を見ようとはしゃぐ自分を見つけて、ちょっと驚いたりする。

もともと、子どもは好きな方ではなかった。

2つ年上の兄がいる私は、子供の頃はいつも兄の後を追いかけて、年上のお兄ちゃん、お姉ちゃんと遊ぶことが多かったように思う。

小さな子どもは扱い方がわからない上、すぐ泣くし厄介な存在。
ずっとそう思っていた。

結婚なんてしたくない(好きなら同棲すればよくて、あえて堅苦しい紙切れなんて出す必要がない)、子どもを産むなんて考えられない、そう豪語していた若かりし頃の私は、20代半ばであっさりと結婚し、一児の母になった。

子どもに対する見方が変わったのは、やはり自分の子どもが生まれてからだったと思う。

不思議と、電車の中や公園で見る他の子どものことも「かわいい」と感じるようになり、用もないのに笑いかけたり、自然とあやしたりするようになった。

自分の子どもと接する中で、赤ちゃんって結構タフに出来ていて、ガラス細工みたいには壊れないことや、甘くてちょっと酸っぱい匂いを毎日スーハースーハー💨吸っていたことで、眠っていた母性が目覚めていったのかもしれない。

そんなわけで、すっかり子どもへの苦手意識もなくなった私は、しばしば小さな友人たちと時を忘れて、遊びに興じることがある。

現役ママではないからこそ、できることでもある。
私たちの遊び時間は、長い人生の中ではほんの一瞬であり、いつだって有限なのだ。

遊んでいただいてすみません🙏

ママさんたちはそう言って頭を下げる方が多いが、私からすると遊んでもらっているのは私の方だったりするわけで、こちらこそ、今日も遊んでくれてありがとう☺️と言う感じだ。

大きな声を出す、とか、全力で走る、とか、人形で戦いごっこをする、とか、私にとっては一つ一つが非日常であり、新鮮であるが故に「楽しい」と感じるのだろう。

孫と遊ぶって、こんな感覚なのかもしれない。
まだ赤ちゃんの息子を嬉しそうに抱きあげながら、飽きる様子もなく「いないいないばあ」をエンドレスに続けていた父の姿が、ふと脳裏に浮かぶ。

孫の顔を見ることは、まだ当分はないだろうから、小さな友人たちと過ごす刹那な時間を、時折楽しませていただこう、と思う。


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パーソナルライターおくやま・ふみ
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