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ライターとして完敗した瞬間

そもそも勝ち負けをつけるのもおかしな話かもしれませんが、今日は素晴らしい文章に出会って、「参りました!」という気持ちになった話を書きたいと思います。

彼女は未来インタビューのお客さまでした。
紹介記事も、未来インタビューの記事も、私的には他のお客様と同様、丁寧にお話を伺い、心をこめて書いた会心の記事でした。

しかし、私が書いた彼女の未来インタビューは、日の目を見ることはありませんでした。
初稿を読んだ彼女の体が、拒否反応を起こすように高熱を出してしまったのです。

たくさんのことを詰め込みすぎたインタビュー記事に、彼女から、「構成から考え直したい」と提案をいただきました。

もう一度、彼女にインタビューをやり直して記事を作ることも頭をよぎったのですが、私の中ではもう1つの声が聞こえていました。

それは、この未来インタビューは、私が書くべきなのか?という直感。

実は、彼女ご自身が、とっても素敵な文章を書く方で。
そこで、私から思いきって「ご自分で一から書かれてみてはどうでしょう?」と提案をしてみたのです。

彼女はその提案を受け入れてくださり、「自分のタイミングで記事を書いてみます」とお返事を下さいました。

それから5ヶ月後。
彼女は約束通り、自分の未来インタビューを完成させ、私に送ってくださいました。

自分が亡くなる1週間前のインタビュー、という設定で書かれたその記事を読んで、唸る私。

彼女の想い、願い、大切にしていること、そして彼女の人生そのものが、ぎゅっと詰まった5ページの文章に、胸を打たれました。

おそらく90才は優に超えているであろう彼女が、インタビューに受け答えする様子がありありと浮かんでくるような、臨場感とリアリティのある文章。

彼女の目尻に深く刻まれた優しい皺。
受け答えする口調は少しゆっくり目で、穏やかなトーン。
でも声には張りがあって。

そんな様子が目に浮かびました。

これぞまさに、未来インタビューの究極の姿。
彼女が見た自分の未来。

ライターが書く、ということの限界を感じた瞬間でもあり、また同時に、ここまで自分を掘り下げて、腑に落として書くことができた彼女に対する敬意を、感じずにはいられませんでした。

そして私の未来インタビューも、自分で書いたのが始まりだったことを思い出し。

ライターが書くことにもメリットはありますが、「自分の未来を捉え、自分の中で腑に落とす」という目的から考えた場合は、やはり自分で書くのが一番なのかもしれない、とも思ったり。

今回の出来事は、私にとって未来インタビューの新しい形を模索する、良いきっかけになるかもしれません。


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