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長すぎる人生、暇を楽しく潰したい

ちょっとした暇な時間というのがありますよね。待ち合わせの相手を待つ時間、人気のラーメン店で並ぶ時間、長すぎる信号を待つ時間とか。

そんな時にはスマホをポチポチやって持て余す時間を潰すこともしますが、デジタル・ウェル・ビーイング的なことを目指す私は、目的もなくスマホを触らないと心がけています。その意志は弱いですが。

スマホに頼らず時間をやり過ごすための昔ながらの私の手法は、ちょっとした疑問にあれこれと考えを巡らせることです。例えば、「この言い伝えが生まれた背景にはどんなことがあったんだろう?」とかです。ネットで正解を求めず、あえて答えを知らないままにして自分なりに求めるということですね。具体的にはこんな感じです。


以下の2つは私の想像です。
定説を調べないままに考える個人の暇つぶしによるものです。

「夜に爪を切ったら親の死に目にあえない」

この言い伝え生まれた当時は、

・家庭で求められる子どもの仕事の一つに手作業があった
・電気が通っておらず夜の明かりが十分ではなかった
・爪切り用の器具が粗末であった

爪先を照らす明かりが不十分な夜に、粗末な器具で子供が爪を切ると指先を怪我する。怪我をすると手作業の仕事ができなくなる。そもそも、怪我をすること自体が親を心配させることである。

なので、夜に爪を切ると親の死に目にあえないと言って(それは親不孝な行為なのだと脅して)子供が夜に爪を切ることを抑止した。

「食欲の秋」「読書の秋」「運動の秋」

文明が発展する以前、本来の冬という季節は、

・収穫できる作物が少ない
・冬山はリスクが高く狩猟が十分にできない
・人の往来が減るため入手できる情報が少なくなる
・過酷な寒さに肉体的に耐えなくてはいけない

このような季節であることから、冬を乗り越えるための備えとして以下のことが当たり前のこととされており、冬のリスクを回避できるようになった近年においても「〇〇の秋」としてその心構えが受け継がれている。

・栄養のあるものを十分に摂取する(あるいは備蓄する)
 →食欲の秋
・周りから冬を乗り越えるための知識を得る
 →読書の秋
・寒さに耐えるための体力をつける
 →運動の秋


このように、ふと抱いた疑問に対する自分なりに納得のいく仮説を求めたりしてちょっとした暇な時間を潰しています。

これをクセにすると、日々のちょっとした疑問を頭の中にストックしておける能力にきっと目覚めます。そうなれば、思考遊びで暇な時間をどれだけでも潰せるようになります。

人生を豊かにするためには、有意義な時間をいかにして生み出すか、というアプローチも有効ですが、暇な時間をどのようにして潰すかもそのための効果的なアプローチですよね。暇な時間を有意義に過ごせれば暇という概念がなくなります。長すぎる人生、楽しく暇を潰していきましょう。

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