感情に善悪はないけれど
こんにちは、ぷゆです。
感情を抱くこと自体には、善悪はないのかもしれない。
けれどそれを口に出したり、態度に出した瞬間に、それは善悪の評価対象になってしまうような気がするのだ。
人は日々誰かの言葉や態度で傷ついたり、悲しんだり、腹が立ったり、もしくは喜んだりしている。
その感情をどう表現するのが正解なのか、私はまだ分かっていない。
喜ぶといったプラスの感情は表現しやすいけれど、ものすごく喜んでる感情を表現するのは結構難しい。
なんかクールな感じの喜び方になってしまう。
ほんとはもっと嬉しいのに。。
マイナスの感情はより難しい。
私は普段、怒りなどほぼ言葉に出さない。
見え方を気にしてしまうのだ。
腹が立つことを指摘してしまうと、悪者みたいになってしまわないか。
傷ついていることを言えば、悲劇のヒロインみたいにならないか。
それに、相手を傷つけたいわけではないのに、傷つけてやりたいとも思っていたりするのだ。
こちらが傷ついた分、やり返したいという気持ちも出てきてしまう。
でもそんなことしても、何のプラスにもならないから、結局必要最低限の言葉で済まして、私もその一言で終わらすからと言う条件の下、相手の言葉もシャットダウンしてしまうのだ。
関わることから逃げていると言ってもいい。
自分の感情からも逃げているのかも知れない。
私は自分の感情を扱う方法として、自分と他人を切り離すということをしている。
そうでないと、こちらも傷つくし、相手も傷つけてしまうと思っているからだ。
でも、もう少し自分にも他人にも寄り添う形で、そしてより良くなる方向性で、感情を処理する方法もあるのではないかと、最近は考えている。
調べてみるとアサーションという考え方があるみたいだ。
アサーションの本を読んだら、もう少しいい形でのコミュニケーションが取れるようになるだろうか。
一度読んでみようと思う。