逃げるという行為は実は進んでいるのではないか説
こんにちは。逃げた先にある何かをさがしつづけているぷゆです。
「逃げたらあかん。」
誰しも一度はこのような言葉を言ったり、言われたりしたことがあるのではないのでしょうか?
一度逃げたら全てが無くなってしまうかのような恐ろしい言葉ですが、
私はこの逃げる行為をある意味正当化しています。
私は世間的に見ると、"ずっと逃げている"そんな人生を送っています。
小学生の頃からずっと、朝起きることから逃げているし、
中学生では校則を無視し続けました。
校則のほとんどない高校に入ると、次は集団から逃げました。
社会人になった今でもそれは同じです。
私は現状から逃げ出したいのです。
私は逃げながらずっと色んなことを疑問視してきました。
何故、朝に強い人には優しくて、弱い人には厳しい世の中なのか?
耳に穴を開けたり、髪を染めることがそんなにダメなことなのか?では何故大人は良いのか?
何故歳が一つ違うだけで威張ることができるのか?
何故みんなと同じ意見、気持ちでいることが良いとされるのか?
働くということは必ずしも苦痛を伴わないといけないことなのか?
周りが当たり前に受け入れていることを疑い続けた。というより受け入れられる人が不思議で仕方がないのです。
逃げてきた私の頭の中では、絶え間なく色々な疑問が湧いて出てきます。
私は確かに世の中のルールからは逃げてきたかもしれませんが、私は自分の中の疑問には常に向き合ってきました。
今の世の中にあるルールが全て正解だなんてこれっぽっちも思いませんし、これがルールだからと言って受け入れることがどうしてもできません。
私は逃げ続けます。
現状から逃げるということは、現状を変えたいと思って、その方向に走っていることにはならないでしょうか?
耐え忍んで集団に属し、周りと足並みをそろえることが逃げずに向き合ってると必ずしも言えるでしょうか?
逃げても道は続きます。
そして私はその先にも何かがあると信じて進んでいきます。
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