不思議な客
土曜日の昼下がりのこと。
私は2階の西側のすみっこで本を読んでいた。
顔を上げれば、ジューンベリーの赤い実をついばむ鳥を見られる。
この季節の気に入りの場所だ。
おととしはネパール、去年はフィンランドにいて、
この景色を眺めることも、梅を漬けることもなかった。
乗るはずだった飛行機は欠航になり、まだ世界は不確かな波の中だ。
久しぶりに家で過ごしている。
音だったのか、光だったのか、きっかけを覚えていないのだけれど、顔を上げて外を見た。
風があって、幹の細いジューンベリーの木は、しなるように全体が揺れていた。
その中で、何か違うリズムで、ゆったりと動くものがある。
・・・蛇だ。
若葉のような緑と黄いろの糸で縒られた、光沢のあるロープのようなものが、幹から枝へと移り、2階のベランダの手すりに降りようとしていた。
3歳の時に枝と間違って踏んで追いかけられたからだろうか、どうにも苦手だ。
どう考えても被害にあったのは向こうなのだけれども。
ベランダの手すりの横板は、上下2段になっている。上の段は2枚の板をすき間を空けて並べてあり、そのすき間を、するすると、静かに下の段へと降りていく。
私は立ち上がり、目で追いかけて、ベランダへと出るガラスの扉の前へ向かう。
蛇は私の目の前で動きを止め、日蔭になった手すりの合間で、きれいに長く伸びたまま、動かなくなった。
一枚だけ、写真を撮った。
そして、しばらく身じろぎできずにいた私は、階下の連れ合いを呼ぶ。
出た言葉は「助けて」だった。
落ち着いた調子の「助けて」に、かえって自分の混乱と余裕のなさを感じた。
勝手な言い草で失礼な話だ。
連れ合いも予想外の出来事だったに違いない。この家に暮らして10年以上、初めての客だ。じっと、2人で動かぬそれを眺めていた。
真夏のような日差しの午後だった。
15分、気持ちの上では30分経ったろうか。
その蛇はもと来た道を辿り、ジューンベリーの木へ戻っていった。
このまま庭に棲みつくんだろうか、それとも棲みついていたんだろうか。
これからは長靴を履いて、木を見上げてから庭に出なければいけないのだろうか、などと考えながら行き先を見守った。
信じられないことに、ジューンベリーからエゴ、その隣のクロガネモチ、プルーンへと、枝から枝へと木々を渡っていく。
長崎生まれの連れ合いに、おくんちの龍踊みたいだね、と実際に見たこともないのに言う。
庭の全ての木をぐるりと渡って、東の端の桂の木にたどり着いたところで見失ってしまった。
ジューンベリーには雀がやってきて、ひと粒加えて飛んで行った。
蛇は吉報、良縁の印という。
家の敷地から出ていく姿を見ていないのも、いいことなのかもしれない。
悪く言っておいてなんだけれども、
いいご縁を知らせに来てくれたのだと思う。
あまりに出来過ぎだけれども、新しい家づくりの契約の前日だった。
1枚だけ撮った写真は近所の年若い友達にSNSで送った。
「かわいい」と絵文字付きの返事が届いた。
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