大好きな画家たちと、わたしの絵。
こんにちは、ぷるるです。
この間、初めて芸術新潮を買いました。エゴン・シーレ特集だったから!
好きだから買ったのですが、エゴン・シーレには他にもちょっとした思い出があるのです。
私は絵などのアートを、何も知らずに見たいと思っています。
先に世間の評価や編み出した技法、生い立ちなどを知ると、自分の本当の好き嫌いに確信が持てなくなるから。
でも実際は、なかなか難しいです。
最近の画家はともかく、いわゆる巨匠になると勝手に情報が入ってきちゃう。
その点、エゴン・シーレとの出会いは完璧なものでした。
なにせ絵を見るまで、彼のことを一切知らなかったのですから。
24歳の時、私は友人とウィーンへ行きました。ただの観光旅行です。
若い女子の軽〜いノリで、「芸術の都だもん、美術館巡りしよ〜!」と、はしゃいでおりました。
そうして行った先に、レオポルド美術館がありました。
エゴン・シーレの所蔵が世界最大量の美術館です。
初めて見た時、私は彼の絵を「スタイリッシュでカッコいい!」と思いました。
古さ感じないねー、なんて友達と笑っていた。
でも見るうちに寂しくてたまらなくなり、驚きました。
今思えば、私の中の孤独感がゆさぶられたのでしょう。
過激な裸体画が有名ですから、当然美術館にもギョッとするポーズの絵がたくさんありました。
でも、どれもあまりエロスを感じないのです。
股開く女を描きながら、実際に全てをさらしているのはシーレ本人だからかもしれません。
そして彼の絵を通して、私も普段隠している内側を引き出されていきました。
だんだん気持ちが不安定になったのを覚えています。
私は昔からこのような「念系画家」にひきつけられるのです。
「念系画家」とは、私の造語。
例えばゴッホ、ルオー、片岡珠子などが、私の中ではその仲間です。
こう、絵から重くて濃〜い思いがただよってきませんか?
丑の刻参りレベルの念を、ぎゅーっと絵に注入している感じ。
前にルオーの絵を見に行った時は、そりゃもうすごかったです。
だってもう半分立体物でしたから!
塗って塗って塗りまくるので、粘土細工かよ!ってぐらい盛り上がっちゃう。
見ていてゾクゾクしましたよ、その念のこめっぷりに。
さてそんな私は、やがて絵本を描くようになりました。
賞にも応募していました(オールアウトでしたが!)。
絵筆を持つと、やはり脳裏に浮かぶのは念系の絵。
子ども向けといえど、作風は千差万別。
私もここはひとつ、込めさせていただきたい。
そうして生み出された作品の一部が、これです。
念はどこへ?
なぜか私の描く絵は、すべてこんな感じになるのです。
(だから絵本が向いてるかと思いました)
また作る物語も、「走る肉まん」とか「変身するきのこ」とか、そういうものばかりで・・・。
ただ、私はとっても不思議なのです。
深く共感するあの「念」は、どこに行っちゃうんだろうと。
絵との向き合いや本気度が足りない!と言われれば、その通り。
ただ絵って、ちょっとした落書きでも絶対にその人が出るんですよね。
で、私の落書きはというと・・・
ほんと、どこ行っちゃうんでしょうねえ・・・念・・・・