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大好きな画家たちと、わたしの絵。

こんにちは、ぷるるです。

この間、初めて芸術新潮を買いました。エゴン・シーレ特集だったから!

うひゃー!これもう買うしかなくない?

好きだから買ったのですが、エゴン・シーレには他にもちょっとした思い出があるのです。

エゴン・シーレ(Egon Schiele [ˈeːɡɔn ˈʃiːlə] ( 音声ファイル)、1890年6月12日 - 1918年10月31日[1])は、オーストリアの画家。エーゴン・シーレとも。

当時盛んであったグスタフ・クリムトらのウィーン分離派を初めとして象徴派、表現主義に影響を受けつつも、独自の絵画を追求した。強烈な個性を持つ画風に加え、意図的に捻じ曲げられたポーズの人物画を多数製作し、見る者に直感的な衝撃を与えるという作風から表現主義の分野に於いて論じられる場合が多い。
(以下略)

エゴン・シーレのWikipediaより引用

私は絵などのアートを、何も知らずに見たいと思っています。

先に世間の評価や編み出した技法、生い立ちなどを知ると、自分の本当の好き嫌いに確信が持てなくなるから。

でも実際は、なかなか難しいです。

最近の画家はともかく、いわゆる巨匠になると勝手に情報が入ってきちゃう。

その点、エゴン・シーレとの出会いは完璧なものでした。
なにせ絵を見るまで、彼のことを一切知らなかったのですから。


24歳の時、私は友人とウィーンへ行きました。ただの観光旅行です。

若い女子の軽〜いノリで、「芸術の都だもん、美術館巡りしよ〜!」と、はしゃいでおりました。

そうして行った先に、レオポルド美術館がありました。
エゴン・シーレの所蔵が世界最大量の美術館です。

初めて見た時、私は彼の絵を「スタイリッシュでカッコいい!」と思いました。

骨っぽさ、色使い、タッチ。いい・・・(芸術新潮2月号P49より)

古さ感じないねー、なんて友達と笑っていた。

でも見るうちに寂しくてたまらなくなり、驚きました。
今思えば、私の中の孤独感がゆさぶられたのでしょう。

過激な裸体画が有名ですから、当然美術館にもギョッとするポーズの絵がたくさんありました。

でも、どれもあまりエロスを感じないのです。

股開く女を描きながら、実際に全てをさらしているのはシーレ本人だからかもしれません。

そして彼の絵を通して、私も普段隠している内側を引き出されていきました。
だんだん気持ちが不安定になったのを覚えています。


私は昔からこのような「念系画家」にひきつけられるのです。
「念系画家」とは、私の造語。

例えばゴッホ、ルオー、片岡珠子などが、私の中ではその仲間です。

こう、絵から重くて濃〜い思いがただよってきませんか?
丑の刻参りレベルの念を、ぎゅーっと絵に注入している感じ。

ルオー「夕暮れ」(絵画の発見シリーズ12 P57より)

前にルオーの絵を見に行った時は、そりゃもうすごかったです。

だってもう半分立体物でしたから!

塗って塗って塗りまくるので、粘土細工かよ!ってぐらい盛り上がっちゃう。
見ていてゾクゾクしましたよ、その念のこめっぷりに。


さてそんな私は、やがて絵本を描くようになりました。
賞にも応募していました(オールアウトでしたが!)。

絵筆を持つと、やはり脳裏に浮かぶのは念系の絵。
子ども向けといえど、作風は千差万別。

私もここはひとつ、込めさせていただきたい。

そうして生み出された作品の一部が、これです。

おさるのビッグバンド話。これは「扉」と呼ばれる部分です。

念はどこへ?

なぜか私の描く絵は、すべてこんな感じになるのです。
(だから絵本が向いてるかと思いました)

また作る物語も、「走る肉まん」とか「変身するきのこ」とか、そういうものばかりで・・・。


ただ、私はとっても不思議なのです。
深く共感するあの「念」は、どこに行っちゃうんだろうと。

絵との向き合いや本気度が足りない!と言われれば、その通り。

ただ絵って、ちょっとした落書きでも絶対にその人が出るんですよね。
で、私の落書きはというと・・・

やはり念は感じられなかった(これはホンドテンのつもり)。

ほんと、どこ行っちゃうんでしょうねえ・・・念・・・・

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