私がアナと雪の女王が見れない理由

2が公開になることで話題のディズニー映画「アナと雪の女王」が見れない。

媒体がなくて物理的に見れないとか、そもそもまだ公開してないだろとか、そいうことではなく、私にとって心理的にきっついのだあれは。

そんなめんどくさい心理になっちゃった私のことを少し話そう。

私は2人姉妹の長女として生まれた。

私は変わり者として、妹はいわゆる女の子として育った気がする。

親の育て方がどうというより、私自身に問題があったのだとは思っているが、私は「変わった子」として成長し、今現在も「変わった人」として生活している。

女子特有の共感力が低く、流行りのナントカに興味が示せず、自分が好きなもの(しかも興味の対象が石とか虫とか機械とか、大概大多数の女子が興味を示すものではない)に時間を忘れて没頭する。

外に行けば男子に交じって傷だらけになって走り回り、「この草は食べられるか、食べられないか」なんてことばっかやっていた。

対して妹は、女の子の友人に囲まれ友人と同じ話をし、明星を読みファッションに気を使い、どうすれば愛されるか、ということを当時から熟知していたように思う。彼女なりに必死だったのだろうけど。

初めてアナと雪の女王を見た時、エルサが自分だけの居場所を見つけて、たった一人でも自分らしく生きていくのだ!とLet It goを歌う映像には感銘を覚えた。

手から雪の結晶を出す映像美はもちろんだが

「ここが私の生きる場所。一人でも何も怖くない、なんでもできる!」

と、初めて自分の気持ちを素直に声に出すその場面に感動した。

今まで「自分はみんなと違う」という生きづらい閉塞感の中で、初めて自分のやりたいことを言葉にするその勇気!おお、ブラボー!!自分は人と違うから、自分のやりたいことを口に出すなんてとんでもないと思っていた、その自己否定を吹き飛ばし、自分の希望を口に出す。

そうだよ!エルサの生き方は万人に認められるものじゃないかもしれない!でも自分で自分を肯定できる場所を見つけて、そこで生きていくって決めたんだ!がんばれ!!

そこに行きずりの男性と連れ立って「お姉ちゃんは私と生きなきゃダメなの!」と飛び込んでくるアナ。

お姉ちゃんがそこにこもってるから国全体が迷惑してるんだよ!?と。

おぉ・・・神よ、なんて残酷なことを・・・

多分、多分だけど、エルサにとってアナの存在ってのはとてつもなく大切であり、同時にめちゃくちゃコンプレックスなのだ。

私がこの妹のことを「あぁ、ダメだ・・・」と思ったシーンがある。

行きずりで同行することになった初対面のトナカイ飼い(だっけ?)の男性に、崖を上る時に「台になって!」とかなんとか言って踏み台にしたシーンがあった気がする。

そもそも初対面の人に雪の山まで同行させ、踏み台にするとか・・・おま・・・お前どんだけ愛されてること前提だよと。

つらい、とてつもなくつらい。

エルサがこのシーンを見てたら多分絶望のあまりソウルシードが濁って魔女になっちゃうと思う。

私も魔女になるところだった。

そしてラストシーン、分かり合えた(ような気がする)姉妹が、抱き合って「これから一緒にやっていこうね♪」からの、男性に向かってウィンクをするアナ。

あぁああぁぁああ出ちゃう!胃袋出ちゃうよぉおおおお!!

私もエルサも、妹のことが大好きだ。大好きで大切だからこそ、彼女にコンプレックスを抱いている自分のことが許せなくて、また自己否定の海に沈んでしまう。と勝手にエルサの気持ちを思い、涙した。

テレビでアナと雪の女王2のCMを見かけたが、さっそくエルサが「私だけこの世界と何か違う気がしていた」とか言ってた。まだ本編公開すらしてないのにもう胃袋が出そう。

世界に取り残された姉と、世界に愛されるために生まれてきた妹。

全ての長女がそうだとは言わないけど、変わり者の姉である私にとってあの映画は「妹へのコンプレックスをびしばし刺激してくるトラウマ映画」なのは間違いない。

今年の冬はあちこちでアナ雪を見かけることになりそうで、ソウルシードが濁らないよう定期的に魔女退治にいそしむ所存であります。


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