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【SF小説】ぷるぷるパンク - 第2話❶ 変身

5,400文字11分

●2036 /06 /06 /17:26
  大船

 ベッドにうずくまり、薄い夏用のブランケットの中で死んだように眠る九頭竜荒鹿。部屋を彩るように差し込む日差しが、日時計のようにただ刻々と移ろっていく。

 昨夜の閃光事件が夢の中でフラッシュバックする。
 途切れ途切れの記憶の断片が、ライトアップされた巨大な観音像と混ざり合い、遠近感覚と平衡感覚がぐちゃぐちゃに崩壊、その空間を落下し続ける自分が、何かに引っかかったように突然止まる。右耳を何かに引っ張られ、おかしなバランスで浮いていると、ぼくを見上げるセーラー服の黒髪の少女と目が合った。少女は静かに、その口を開く。
「くず。」

 目をばっと見開き、何かが突然途切れるように目が覚めた。体中が汗でびしょびしょだった。頭を掻きむしりながらもう片方の手で枕元の眼鏡に手を伸ばす。蒸し暑い夕方の部屋は、すでにゆっくりと暗くなり始めていた。
 眼鏡がないことに気が付き、ベッドの周りに手を伸ばし、ばたばたと確認する。風邪の引き始め、熱の出始めのような重たい体を無理やり引っ張り上げるように起き上がると、ぼくはベッドの端に腰をおろした。
「なんだよ、くずって。」

「うわっ」
 ぼくは自分が全裸で寝ていたことに気がつき、慌ててブランケットをかぶり直した。ついでにそのブランケットで全身の汗を拭う。
 どうにか昨夜のことを思い出そうとしても、光の中の黒髪の女の子のことばかり思い出される。いや、実際は閃光のこともパトカーのことも覚えている。しかし、家に戻った前後がどうにも思い出せない。
 そして、なぜ全裸? 
 いや、どうやって帰って来た? 色々と記憶が飛んでいる。そして、取り急ぎ、眼鏡もない・・・。

「あれ〜、違う眼鏡じゃん。かっこいいよ、きんぶち〜」
 居間のソファーにだらしなく寝っ転がり、缶ビール的なものを飲んでいる姉ちゃんが、部屋から出てきたぼくを目で追いながら言った。モニターには今もまだ昨日の空港の件が映っている。

「あ、大船のやつ、なんかやってる?」ぼくは昨晩のことを思い出そうと、頭をどうにか回しながら姉ちゃんに聞いた。
「おおふな〜?」姉ちゃんは、すでに酔っ払っている。ぼくが苦手な感じの姉ちゃんだ。だけど報道が気になるから我慢する。
「昨日、パトカーとかいっぱい来てたの、知ってる? 観音様の方」

 姉ちゃんとぼくの暮らしは、線路を挟んで観音様と逆の側に集中しているから、姉ちゃんが昨日の閃光を知らなくても無理はない。

「あ〜、なんかお客さんが言ってたかも。閃光とか〜?」
 ぼくは安堵に胸を撫で下ろす。幻じゃない。やっぱり、実際に起こっていた。

「そう。災チャでやってる空港の閃光っぽいの、大船にも来たよ」誰に報告する訳でもなく、ぼくはただ独り言のように呟いた。

「え〜、やばいじゃん、で、どうなったの?」姉ちゃんは、モニターから目を離さずに言った。

 で、どうなったかと言うと・・・。
 閃光が怖くて逃げ出したぼくがたどり着いた観音様の参道に、四つ目の閃光が現れて、その中からセーラー服を着た黒髪の女の子が現れて、そいつに『くず』って言われたんだよね、とか、口が裂けても言いたくない。

「でかけてくる。」と言って玄関に向かうと、姉ちゃんが突然ふらっと立ち上がった。

「ねえ、今日はちゃんと遅くなる前に帰ってよ。遅くなるなら、私のお店にきて。で、一緒に帰るから、いい?」
 姉が近づいてきて、倒れ込むように抱きついてきた。この酔っ払いめ。

「昨日、帰っても部屋にいなかったから、心配したんだよ。」
 ぼくの胸に顔を埋めた姉ちゃんが泣いたふりなんかをするから気が散るが、そう・・・。昨日は多分色々あって、今まさにそれを思い出そうとしている訳で・・・。

 ぼくは、姉ちゃんの頭をぽんぽんと軽く叩いて、自分の体から引き剥がす。
 姉ちゃんが、わざとらしく大きい胸を当ててくる。柔らかくて嫌なんだよな、家族のこういうの。

「昨日、お金、ありがとう。」
 頭ぽんぽんと感謝で贈る必殺の少女漫画コンボで姉ちゃんを交わし、急いでマンションを離れた。

 と言っても、行き先があるわけではないから、スケートボードのサマージ似の店員さんに会いにヒュッテに行ってみよう。彼女はいるだろうか、いないだろうな。

 雨季の合間の夕暮れ時は、なんだかいつも感傷的だ。
 子供の頃は梅雨と言って雨季は短かったものだけど、ここ10年くらいは、5月の終わりから9月まで、長い雨季が夏のイメージだ。季節は、変わる。

 やっぱりあの女の子はいなかった。ぼくはくしゃくしゃのドル札をカウンターの中にいるおっさんに手渡して、水出しのアイスコーヒーを受け取ると、ため息をついて外のベンチに座った。
 そして、道向かいの花屋に咲く薄い青紫の紫陽花の花の塊や大きい葉っぱの重なりが、弱い風に揺れるのを眺めた。

 それにしても、『くず』って・・・。

 いや、正直に言えば、『くず』って言われたことがショックだったかっていうと、そんな訳でもない。それよりも、あの美少女。あの美少女の存在こそがショックだった。

 正直に言えば、めっちゃタイプ。あの子は何者なんだろう。
 その子を思い出そうとすると、漏れなく付いてくるのがあのセリフ。
『くず・・・。』

「くずりゅうあらしか。」
 ぼくが顔を上げると、そこには幼馴染みの渡小舟が立っていた。
 立っていたと言っても、座っているぼくと目線の高さにそんなに差はない。背の低い女子で、系で言えば萌え系、細くて柔らかい髪が自然にくりくりとしていて、犬みたいで非常に可愛らしい。

 だけど、実際は芯の強い女子だ。まあ、イコールめんどくさい系の女子ってことでもある。いじめられっ子とか弱者の側に立って、偽善のかけらもなく助けちゃうようなタイプ。ぼくも助けてもらったことがあるから頭があがらないと言えば、その通り。

「何してるの?」小動物みたいな黒目がちな瞳で見つめられると、言われもなく責められてるみたいで、ほんのりと居心地が悪い。
「小舟。」

「荒鹿くん。」彼女はまっすぐにぼくを見下ろしている。高低差はほとんどないけどね。
「座れば?」と言うと、彼女はぼくの隣に腰を下ろし、ぼくはようやく彼女の黒目から解放された。

「学校行ってないって聞いたよ。」
 うん。それは確かに事実ではあるけど、あんまり今は、それについて話したい気分ではない。
 ぼくの隣に座りながら、小舟はスマートフォンでコーヒーを注文した。

「天気いいね。」ぼくは、学校のことから会話を逸らす。
「うん。」まったく興味なさそうに頷く小舟。注文を終えると、彼女の黒目が責めるように再びぼくに向いた。彼女にそんな気がないのはわかっていても居心地が悪い。

「何してるの? 大船で」目を合わさないようにしてぼくは言った。実際小舟は、大船なんかで何をしている? 小舟はぼくの姉ちゃんですか? 

 彼女はぼくよりは姉ちゃんと仲が良かったから、ぼくを弟みたいな感じで扱うのだ。彼女よりぼくが背の低い頃からお互いを知っているだけに、余計にそうなりがちである。
 彼女はその強すぎる母性本能を発揮して、ぼくを見張っているんじゃないかとさえ思うことがある。

「夏休みの予備校決めなきゃいけなくて。」彼女は全く他意なさそうにそう言った。そう言うことならそうなのだろう。

 だけど、やっぱり落ち着かない。小舟くらい賢くても予備校にいかなきゃいけないのか、と思うと同時に、本当はぼくを偵察するために予備校を言い訳に、なんて思ってしまう。
「鳴鹿ちゃんのとこ受けるからさ。」
 ああ、そうだった。やっぱり他意はない。小舟は姉ちゃんのことが好きなんだ。ところで、ぼくは姉ちゃんを一番間近で見てて思うんだけど・・・、
「姉ちゃん多分、来年も大学にいるよ」
 だがしかし、ぼくの九頭竜鳴鹿留年予想は、ストレートには小舟に伝わらない。
「え? ほんと? 院?」小舟は目を輝かせて言った。
「え、ちがうでしょ。」そんな訳はない。あの姉ちゃんから大学院なんて言葉、並行世界に行ったって出てくる訳がない。
「わけわかんない。鳴鹿ちゃん、四年生じゃん」

 不貞腐れる小舟は姉ちゃんのいいところしか知らないのだ。小舟に見せてやりたいぜ。見事なまでに退廃的なあの女を。
 30年代のちゃんとした若者が、今ではすっかり90年代のような、まるで世紀末の若者みたいな雰囲気を醸し出している。

 ドアにかけられたチャイム代わりの竹細工がからんと乾いた音をたて、おっさん店長が店から出てきて小舟にコーヒーを渡す。

「同じ大学いきたいな」小舟はどこを見るともなく言った。
「行けるよ。姉ちゃんが行けるぐらいだから。」小舟ならいけるでしょう。絶対うちの姉なんかよりも優秀だから。ぼくがそう言うと、小舟はがっくりとわざとらしく首を下げる。
「違うよー。荒鹿くんとだよ。」色んな意味で、空気が凍る。

「ははは。無理無理。」その理由は、学力だけじゃない。到底無理。世界が違う。今となっては変わってしまったが、姉ちゃんだってあの学校に行き始めた頃は、両親から、みんなから、世の中から必要とされ、期待されていたのだ。
 ぼくなんかが行こうとする学校ではない。考えるだけでもおこがましい。

「荒鹿くんと違うとこなら大学なんてつまんないよ」今度は突然空を見上げる小舟。
「私、鳴鹿ちゃんのところじゃなくてもいいよ。」小舟は真剣な表情でぼくの方に向き直った。ぼくは、それがわかっているから視線を紫陽花から逸らさない。

「いや、それはないね。」それはない。それは断言できる。

 いつも小舟には友達がいっぱいいて、頭が良くて優等生で、部活だってがんばってる。水泳でインターハイとかに出るとかなんとかって、姉ちゃんから聞いている。小舟は至極ちゃんとした人間だ。
 どこにいたって、誰といたって、いつだってみんなの中心にいる小舟。ぼくがいたって、いなくたって、小舟は小舟。

「だって、ほんとだよ」拗ねるように言った小舟とぼくの間に、気まずい空気が流れる。

「空港の。」
 昨今誰もが話題にしているテロ事件。小舟もそれを口にした。
「怖いね。」と呟く彼女の黒目を再び避けるように、ぼくは黙って頷いた。

「荒鹿くん」彼女の大きな黒目は、逃げ出したいぼくの視線を捕まえて、ぐいぐいと割り込んでくる。
「サマージとか、違うよね・・・?」

 そう、笑えばいい。小舟だってぼくのことを笑えばいい。ぼくは、ただのつまらない男。
 世の中に必要とされず、世の中どころか誰からも必要とされず、未来も過去も、何もかも背負っていない、ただのつまらない高校生。「つまらない物ですが。」みたいな、つまらなさ。

 誰もぼくになんか興味を持たない、ただのクズ眼鏡。
 学校や部活だって何もない、それどころか、何かを背負って戦っているサマージと勘違いされるだなんて、大変おこがましい。そう思いながら脳裏に浮かぶのは、あのスケートボードの女の子。
 ぼくは不戦敗の高校生。いや、そしてご存知の通り、実際は高校生とも言い切れない。

『違うよ』って言えばいいだけなのにわざわざ返事を遅らせて、小舟に対して偽りのヘンリー・ダーガー的奥行きを持たせているのは何故だろう。自問自答。
 ぼくの唯一の深みである「つまらない人間」であることに対する「つまらない悩み」を小舟に知ってもらいたいのだろうか。しかし、そんなことではない、結局ちゃんとした理由なんて何もないのだ。
「・・・違うよ。」ぼくの返事を待っていた小舟は、ぼくの声に被せるように「よかった」と即答した。

「あのね、鳴鹿ちゃんにも会いたいな。」真剣な表情タイムは終わって、小舟に柔らかい笑顔が戻っていた。
「ああ、姉ちゃんも小舟に会いたいんじゃない?」
「今度、おうち、行くね? じゃあね」歩き出した小舟は、四つ角で振り向きざまに手を振ると、微笑みを残してバスターミナルへ向かう道を駆けていった。

 小舟が見えなくなると、ぼくはぼんやりと振っていた右手を下ろし、ぼんやりと歩き出す。大船の駅の雑踏を抜け、再び観音様に向かった。
 歩道橋から見下ろすと、昨日閃光が見えた場所にはちゃんと黄色い規制テープが貼ってあった。

 やっぱりあれは、実際にあったことなのだ。歩道橋を降りて、昨日は逃げ出して近づけなかった方向に近づいてみると、川縁のコンクリートは、アイスクリームディッシャーでくるってやったみたいに抉られて、そこには球状の空間ができていた。

 突如、強烈なフラッシュバックがぼくを襲う。
 閃光/観音様/黒髪の美少女/そして黒い蛸。

 ぼくは咄嗟に両方の手でパンツのポケットをまさぐる。そう、分かっている。蛸なんてあるわけはない。何故って、昨日着ていた服や眼鏡は無くなった。そして当たり前のようにパンツのポケットに黒い蛸は入っていなかった。
 あの、黒い蛸。そう、蛸・・・! 

 ポケットから出した空っぽの手のひらを揃えてみても、やっぱり、そこには何もない。昨日蛸を握り潰した左手に、ほんのりと他人の体温のような熱を感じるだけだ。左手の指の筋をすべてぴんと伸ばして開いてみた。

 ぷるん。

 手のひらに白い光の粒がぱらぱらと銀河みたいに集まって・・・。
 え? 手のひらに、蛸が、出てきた・・・。
 え? えーーー!?
 
 その瞬間、記憶のダムが決壊した。

つづく


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