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【SF小説】ぷるぷるパンク - 第14.5話❶ 仮説

2,600文字5分

● 平泉寺・仮説ー背景

 まずは、背景から説明しようと思う。

 2024年に管理居住区となった勝山市はもともと江戸時代の頃から繊維業が盛んな地域だった。繊維業はこの地域が雪に閉ざされる冬の間の生活の糧となる産業として発展した。(ここは、日本でも指折りの豪雪地帯なのだ。)
 しかし大量生産技術の向上や、より低コストな海外の工場への技術移転が進み、20世紀の後半にはこの地域の産業は衰退を始めた。

 2024年、時を少し遡りサンフランシスコのATMA本社で開発されたPFCスーツだが、大量生産をはじめてみると、何故かプロトタイプほどの効果が現れなかった。
 プロトタイプ生産時に発生していた手作業ならではの揺らぎが、大量生産では消えてしまっていたのだ。試行錯誤の上で分かったのが、この地域の伝統的な機械を用いた羽二重絹の技法を用いる事で、その揺らぎを再現できる事だった。『ぬれよこ』と呼ばれる通常よりも細い2本の緯糸(よこいと)を常に濡らしたまま織る技法だ。

 AG-0への潜入の手段として、ぬれよこ技術を持つこの工場に入り込んだのが5年程前。
 ある日突然現れ、この失われつつある産業に興味を持つと言う何処の馬の骨とも分からない小娘である私を、社長と呼ばれるこの工場の持ち主が快く迎え入れてくれた。産業を代々継承し、伝統を守ってきた彼は、奥越地域が国の管理下になり家族が移住してしまっても、一人ここで生産を続ける必要があったのだ。
 最初の数年間、私は彼の助手として、彼の技術を学んだ。同じ頃、緩衝地帯近くで起こった暴動で両親を亡くした彼の親戚であるすこやかが工場にやってきた。

 ある程度、私が一人で工場を回せるようになると、ある日社長は忽然と姿を消した。県外へ移住した家族のもとに戻ったのだろうか。なんとなく、予想できていた事だったが、私にできるのは彼の無事を祈ることだけだ。
 そんなこんなで、なし崩し的に私とすこやかがこの工場の跡を継いだ。

 現在私の工場では、伝統の羽二重絹を生産しながら、同じ機械を使ってAG-0に納品するPFCスーツの生地である『SNSPFC(スーパーナノスリット・パーフルオロカーボン)』と、その原料となる糸『生体プローブ』を生産している。
 AG-0では、系の原料となるバイオマテリアルのポリイミドが保管されているだけでなく、プローブの生産に必要となるPFC溶液が精製されている。
 ZENとの互換性が高く、少量のZENから大量に精製できるPFC溶液は、各地の発電プラントで『ぷるぷるパンク』の保管に利用されている。これまでZENの流出がなかった日本では、従来そのほぼ全量をア国からの輸入に頼らざるを得なかったが、管理区域内の永平寺でZENの流出が確認されたことにより、ついに国内生産が可能になった。ア国との共同採掘・生産ではあるが、国際社会には秘密裏にAG-0でのPFC溶液精製が始まったのだ。
 表向きは地殻変動を理由に管理区域化した奥越地方であるが、区域内の労働者にとっては、永平寺のZEN流出が原因であることは公然の秘密となっていた。

● 平泉寺・仮説ー記憶

 次に、私の仮説の根幹となる、私の記憶について説明する。
 私には地球環のない満点の星空の記憶がある。地平線まで続く雲ひとつない青空の記憶がある。あるはずのない地球の姿。

 マーヤー状態と呼ばれるアートマンの幻覚。その中でたどり着いたのが、地球環のない地球だった。

 インドに伝わるヴェーダ神話の一説にこんな話がある。
「双子の月が喧嘩をして、怒った姉が妹を粉々に砕いてしまった。可哀想に思った姉は、妹のかけらを繋げて環のように飾りつけ、逃げるように隠れてしまった。罪の意識を拭いきれない姉が月に一度だけ様子を見に戻ってくる。」
 これは世界各地に、少し内容は違えど継承されている月と地球環についての話である。

 地球環の起源について諸説あるが、現在はジャイアントインパクト説が濃厚とされている。46億年前に地球が形成されてから間もなく、原始惑星衝突の衝撃によって月と地球環が生まれたという説だ。実際1969年に月から戻ったアポロ11号が持ち帰った月の石と、地球環の構成する岩石群の組成が同じだったことからも有力な説となっている。

 とにかく、たった数百万年しか生きていない人類は、地球環のない空を見たことがないのだ。

 少し地球環の話をしよう。

「地球環」というのは、月と同じ組成を持った細かい岩石で構成され地球の赤道上に安定した、巨大なリング状の岩石群ことだ。一般的に「ちきゅうかん」と呼ばれるが、その呼び方はさまざまである。月がお月様と呼ばれたり、宵の月とか、満月とか三日月とか、いろんな呼び方をされるのと同じだ。英語では一般的に「The Earth Ring」と呼ばれる。

 日本最古のトゥルクの寺院「永平寺」がある奥越のこの地域では、地球環は古くから信仰の対象とされ「お御環みわ」と呼ばれている。それを崩したのが「っ子」。特に子どもたちにはそう呼ばれて親しまれている。

 小舟は少し柔らかめに「ちきゅうのわ」と呼ぶし、嶺姉妹は意外にも、とてもロマンティックな「そらのわ」と呼んでいる。「そらのわ」は私が初めて聞いた呼び方だった。

 これと同じように地域や世代や様々な要因によって、さまざまな呼ばれ方をしているのが地球環だ。

 話を戻して、私が、ジャイアントインパクト以前には存在し得ない「地球環のない地球」にたどり着いたのは、ATMA時代、中央アジアでの最後の任務中にATMAから脱獄を果たした時だった。アートマン状態のまま芦原さんと離散し、逃亡中にトルクメニスタンとアフガニスタンの国境周辺にある小さな村で陥った幻覚ーー幻覚マーヤー状態中だった。

 任務で幻覚マーヤー状態に陥るのは、常に接続ユニットの上だったが、その日の私はアートマンのまま力が途切れるまで飛び続けた。低空を飛行中に突然意識を失いアーマーの解除が起こり、幻覚マーヤー状態のまま乾燥した地面に激突した。その衝撃に目を覚ましたと勘違いしたのが、さらに深い幻覚マーヤー状態の中で、雲ひとつ、そして地球環すら存在しない、乾燥地帯のどこまでも広がる真っ青な空の下だった。

つづく


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