男女平等に向かっているのか?
先日、私は母と結婚についての話をした。
母は「今どきの若い子たちは共働きが当たり前だし、育児や家事の分担も普通だと思ってるでしょ?」と言う。
私自身も、私の周囲の友人知人も「仕事は男性、家事育児は女性」という偏見を持っている人はほとんどいないので、母の言い分は肯定したいところだ。
しかし、実際に国内の男女が思う「普通」なのかといわれると、統計データを見ていないのでわからない。
実際に共働きかどうかくらいは調べればアンケート結果があるかもしれないが、意識調査はぱっと調べたくらいでは分からなかった。
夫婦間の問題
妻をいたわり、仕事と家事と育児をこなす夫。
それがもてはやされるところを時々目にする。
そしてそれ以上に、育児や家事に関する旦那さんへの不満を見かけることが多い。
私が見る情報が偏っているはずなので何とも言えないが、「無責任で身勝手なパートナーの愚痴とそれに共感する人々」の構図はどこにいっても存在するように思う。
夫婦が互いに好き合って助け合うのを理想としているはずなのに、現実ではそう簡単にいかないようだ。
時代の流れとともに変わる
もちろん夫婦や家族の在り方はそれぞれ違っていい。
明らかに一方が搾取しているような状態は正直あまりよくないと思うが、互いに自らの意思で望んで満足であるなら外野が口出しすることでもないのだろう。
夫婦の形は時代によって変化してきているし、昔は亭主関白で男女分業がうまく回っているのがオーソドックスな時代もあった。
男女平等が叫ばれてから一時、女尊男卑と言われていたが、それも徐々に落ち着いてやっとあるべき男女平等に向かっているのを感じる。
亭主関白を履き違えない
今の時代でも、亭主関白やかかあ天下があってもいいと思う。
ただ、「亭主関白」の意味を勘違いしているというか、都合よく考えている人がいるようなのが気になる。
古き良き亭主関白な家庭というのは、夫であり父である男性が大黒柱だから成り立つのだ。
家族のために働いて稼ぎ、家族の長としての責任を持っているからこそ、妻や子どもは尊敬の念をもって接する。
「女の仕事だから」
と投げるのはただの責任放棄だ。
「責任は俺が持つから任せた」
と信頼を寄せることで妻は安心して家事と育児をやり遂げる。
大きな文句を言わずに見守るか、もしくは育児や家事の指示を出すほどしっかり考えるか。
そうやって家族のことをきちんと把握してはじめて亭主関白だ。
威張って自分の好きにするのではない。
男女平等の普及へ
現代の日本はとても便利な暮らしができるようになった。
昔は社会的風潮を除いても実現しづらかった「専業主夫」「女性の仕事復帰」が身近なものになっている。
性差をシステムが補完することによって、ひとりひとりの自由度が増した。
あとはやはり、個人の意識の問題である。
男女平等がスタンダードになることを願うのみだ。