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生きてほしいと願うのはなぜだろう
「無限の住人」を観た。
有名な作品なので内容に多くは触れないが、ポイントは主人公が(半)不死身であることだ。彼は死にたくてもそう簡単に死ねない。
話題となった作品だけあって、後味の良い”サムライ映画”だった。
つらい人は多いのかもしれない
最近は自殺の報道が多くて悲しい。
日本の自殺者数が減っているとはいえ、毎日どこかで命が断たれている。
私は死にたいと思ったことがないので彼らの気持ちは理解できない。
しかし、自殺者の多さやSNSで繋がる人たちの自殺未遂経験・うつ病発症率の高さなんかを見ても、「一度は考えたことがある」という人が多いのだろう。
私の見ている世界は狭いから、きっと苦しい思いをしている人はたくさんいる。
死ぬことができなかったら
「無限の住人」で、主人公と別で、同じ不死身の体を持つキャラクタが登場する。
彼は「生きるのに疲れた」と言葉を残す。
死ねない身体であるために、何百年と過ごすうちに大切な友人や愛する人を何人も見送るのだから、それは悲しいことだろう。
この物語を聞けば、たいていの人が「そんなに長く生きてつらい思いをしたら死にたいとも思うよね」と同調し同情するはずだ。
しかしこの話の不幸な点は、「一般的な寿命から外れている」というだけではないのか?
長く生きなくとも、不幸なことに身近で大切な人をたくさん送る立場になる人は現実にいる。つらい思いをする人はいる。
彼らは「生きるのに疲れた」と思い、死を望むだろう。
それを見た私たちはきっと同調しない。
「生きているのがつらいから死にたい」
それだけなのに、何が違うのだろう。
それでも生きてほしい
死を望んだことがない私がこうして語ったところで、たいした重みがないかもしれない。
「本人の望むとおりに”生きればいい”」と思っているからこそ、やはり私は誰にも死を選んでほしくないと思う。
天性的なタナトス(死に惹かれる性質)でないならば、自らいなくなろうとするなんて悲しいこと、しないでほしい。
できる限りの最善を尽くしても意志が変わらないならそれ以上止めることはないが、どうしても生きてと願ってしまう。
そうやって叶わない願いを抱きながら、起きてしまった悲しいことは「必然だった」と整理して進むしかないのだろう。
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