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本当はずっと仲良しがいいね
「喧嘩するほど仲がいい」
「雨降って地固まる」
こうした諺があるが、共感するだろうか?
たしかにそのような場面はある。
しかし、これらはどちらも気休めの言葉であり、喧嘩もせず雨も降らないまま良い状態を維持できている方がよいと思う。
”終わり良ければすべてよし”?
私は争いや諍いが嫌いで下手な行動をあまりとらないので、喧嘩になることはあまりない。
そもそも大人になればお互いに少々のことは我慢・配慮し合うし、「喧嘩」する場面があまり想像がつかない。
一方が怒ることの方がよほど頻繁に起こる気がする。
そのような場面でも、基本的に不快な思いをした・させた場合は話し合いと謝罪で終わりだろう。
「喧嘩するほど仲がいい」のは喧嘩の後に仲直りするからであって、決別してしまったら元も子もない。
「それでバラバラになってしまうなら、それまでの関係だったのさ」
なんてのはただ自分を納得させるだけの言葉であって、最初から別離を望んでいたわけではないはずだ。
どうして事前に防げないか
人は調子に乗るもので、「仲がいい」「気が合う」と感じると、実際以上に気持ちが通じているものだと勘違いする。
その分だけ配慮に欠けたり、考えが甘くなったりするのだ。
本人も後になって振り返れば気づけるレベルの不躾な行為を、つい犯してしまう。
その瞬間は紛れもなく一番の選択だったのだから仕方ない。視野が狭くなり、判断力が鈍っている。
常に客観的な視点を意識していればある程度防げるのかもしれないし、私はなるべくそうしているが、みんなもそうしろとは思わない。
程よく楽しく思うままに生き、悪いことをしでかしたら謝罪する。それでいい。
気を遣いあっていたい
「気の置けない仲」でうまくやっていけるなら、よほど相性がいいのだろう。
ざっくばらんに接していて気が合うのなら、もちろんそのままでよい。
しかし、大抵の交友関係というのは相手を思いやり気遣うことで保たれている。
だから、一方が繊細で一方が大雑把など気の遣い方があまりにも乖離した関係だとずっと仲良くいるのは難しいように思う。
それでも友人関係を続けたいから、好きだから、衝突することがあっても一緒にいる。そういうものだ。
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自分の友人同士が不仲な姿を見ることほど悲しいものはない。
雨降って地固まるといいな。
絆が深まればいい。
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