中立な目線の大切さ🌱
昨晩見た夢、
どこにいて、誰がいたかは全く覚えてないけど、
周りに居た人達(20人ぐらい)が、f**k を連発する歌を歌っていた。
いきなりそんな歌詞の歌を大人数が歌い出したら、不快感半端なくて、そんないやーな気分を抱えて起床した今朝。
(起きたら起きたで梅雨空絶好調でよりどよーんってなった笑)
なんか私達が生きるこの世界って、何かに対して大きな声が上がってると、そこに対して否定的な言葉をあまりいい言葉遣いで攻撃しちゃう人が多い気がする。
このコロナ禍な現状も、
感染リスクを恐れて対処する人が大多数かと思いきや、
「結局はただの風邪だ」「情報操作に操られてるだけ」「そんか怖がって馬鹿じゃない?」という人たちもある程度いる。
菜食がトレンドや多様性の一部になろうとしてる今のムーブメントも、
健康以外の理由でその選択をする人が増えていく一方、
「肉好きなら食べればいいのに」「肉食べない少数派がいても意味ない」「全ての食材は人に必要だからあるのになぜ諦める?」とか、一方的に否定する人もいる。
なんだか、分かり合おうとする姿勢が全く見られない。
人は結局、自分が落ち着く情報しか取りいかない・信じないということなのかな。
私は極力なんでも中立な立場で物事を判断出来る人でありたいなーと思っているので、両極端な情報を見ようとしているのですが、どちらもすごいエネルギーで発信をしているものだから、見てると疲れてきてしまいます。
特に片方を否定する時に、『馬鹿馬鹿しい』『クソ』『アホ』のようなあまり良い言葉遣いをしていない人の意見は、内容云々は置いといてアレルギー出ます。
きっとこれは、私が小学生の時から、母から言霊の話聞かされて言葉遣いを気をつけたり、高校留学時代はキリスト教系の学校だったのもあって f***kなどの言葉を使わないように先生やホストファミリーに指導されたことが大きいのですが。
感情的になると周りが見えなくなったり、同じ思考の人たちばかりに囲まれると、それ以外の思考の人たちを受け入れがたくなっちゃうかもしれないから、まずは落ち着いて物事見て、いろんな価値観に触れた上で、自分の意見をしっかり持てる人で、私はありたい。
そんな人が増えれば、きっといろんな物事が平和的に解決出来たり、多種多様な選択を受け入れられる世の中にある気がしてならない。