『Starstruck 時をつなぐ手』プレイ感想 ネタバレと悪態と罪と罰とねじれた自我を含みます
2024年12月27日追記:
この記事はゲーム感想記事として非常に雑多なのですが、現在「Starstruck 時をつなぐ手 感想」と検索した際に一番上に出てきています。これはあまりよくありませんので、ちゃんとした版を作成しました。内容はこの記事と変わりませんので、こちらを読んでいただければと思います(それはそれとして、一番上にこの記事が出てくるのは嬉しいので残します)。
もし、雑多でもめちゃくちゃでもお付き合いいただけるのでしたら、このまま読んでいただけると幸いです(内容は大体同じなので、片方読めば十分です)
Starstruck 時をつなぐ手。
2024年9月16日にリリースされたリズムアドベンチャーゲームです。
こんなやつ。
全体的にmother的な雰囲気を持つゲームというのは発売前から知っていて&気になっていて、だから私ってば配信開始してすぐに買ったワケ。
そして……その日の夜にやったら……
思ったよりこわかった!!!!!
大体こんな感じです。ジャンプスケアもあったしな。
感想でありながら自分語りで申し訳ないんだけど、私ってばホラーが苦手で、その中でもとりわけジャンプスケアが苦手で。だからもう、ぶっ飛ばそうかと思ったね。私ってば少年冒険活劇を期待しちゃってたから、ほら。
幸いとするべきは、主人公の身近で(風浦可符香が言うならば)身長を伸ばしている人物がいなかったことだろうね。まあ、それが主人公の新しい悲劇を作る手伝いにはなると思えないけど。
とにかく、わりかし怖い雰囲気のゲームとして進行していき、最終的にはなーんか腑に落ちない終わり方をしたのでした(これは私の選択が間違っていた可能性があります)。
クリア時間は3.4時間。価格帯にしてはボリューム控えめって感じで、食べやすいサイズで新登場ってのがここまで浸透してるのかとビビらされるね。
冗談はさておき、終わり方も含めて全体的に腑に落ちない感じだったのも確かです。何が言いたかったのかよくわかりませんでした(これは私が愚かであるだけの可能性があります)。
まあ、ここまで読んでるってことはちゃんとこの記事のタイトルを理解してネタバレも(そして、悪態も)覚悟しているということでしょうから、テキトーに色々言いたいことを。
ゲームというより、芸術作品をやらされてる気分だったね。まったくもう。音楽の使い方が上手いったらありゃしない。その一方で、ゲームとしてはたまに粗が目立つ。
例えば、湖に懸かっている橋に行く、というおつかいが発生したとする。当然私はその場所を知ってなきゃならないんだが、どうにも知らない。っつーのは、それまでに湖すら見た覚えがなかったからな。多分、何度も見てたんだろうけど。この世界全体を映してるシーンは何度かあったろうし。だからってそれで一々記憶しちゃあいない。
それから、ムービーシーンと操作可能シーンの切り替えにおいて特にそれらしい指示がないから、操作可能かどうかわからずにZとXとCを押す時間があるってこと。これは……無力感を育てるのに役に立つね。それが狙いってなら上手く行ってるけど。
だのに、ムービーやら音楽やらはちゃあんと作ってる感じがする。できるだけ意図しているというか、考察できるように作られている……気がする。私はそういうことしないからわからないけど。
あと、これは単純によくわからない点として、和ゲー操作だったのには面喰らったね。マウスを使っちゃいけない道理があるんだろうか?ちょっと操作が不便だった。……これは、私の趣向かも。
「型にハマることを否定する」感じの話だった気がする。これは誤解かもしれないけど……いったん、私の答えを示さないことには進めないし。
オズワルドは盗作野郎でありながら町のシンボルをやっていて、デカめの名物屋敷だってある。そしてウロボロスとなって時たま語り掛けてくる。これがやかましいったらありゃしない。他人の歌を盗んだらいけないんだぜ。
一方で、それを仕方のないことだと主張してやがる。根が同じだからこそ、同じものが産まれてしまったのだと。
例えば世界各地で信仰が発生したように。遠く離れた場所でも、似たような文化が発生することはある。それは、同じルーツを持つからこそ、だと言う。
まあ実際、類似するのは仕方ないんだろうさ。完全なオリジナルなんて作りっこないぜ。全ての物語は聖書にあるし、全ての記事はデイリーポータルZがやってる。普遍的事実。
だがそれは抽象度の具合次第だろうが。例えば、「主人公が能力で問題を解決する」っつーレベルまで落とし込むと、大体の作品を説明できる。ワンピースもそう、逢魔ヶ時動物園もそう、ねこわっぱ!もそう、賢い犬リリエンタールもそう、大東京鬼嫁伝もそう、すごいスマホもそう、ALIENS AREAもそう、極東ネクロマンスもそう、さいくるびよりもそう、よつばと!は……ちょっと違うか。
そのレベルで視てパクりだなんだ言うのは間違っている。だがしかし、一方で明らかに盗作しようと思って盗作した作品も存在する。そんなのはダメだぜ。
結局、オズワルドは言い訳がしたかっただけだ。あいつのすごい"芸術"ってのも、カビくさいチンケなお芸術だったしよ。カビくさいのも華美くさいのも勘弁なんだよ……。
対して、主人公一行は割と「本当の自分を見つける」みたいなことを言っている。
こんなのはマジでラインの引き方次第でどうにでもなるくだらねえ話だけど、本当の自分なんてのは存在しねー。他人に規定された自分だって本当の自分で、自分が嫌いで隠したい自分も本当の自分で、大切な思い出に起因する自分だって本当の自分だ。そして、逆説的にそれらは存在しない。偽物がなければ本物だってないからな。
自分のなりすましが出たとしても、それは「本物のそいつ」になるってだけで、決して探しているような本当の自分になんかなりゃしない。結局、なりたい自分ですら誰かに影響されてるんだからよ。オズワルドの言うところのルーツだな。
つーか、あいつはルーツになろうとしているカス虫だな?ええ?そりゃあ、自分が型となって後世に語り継がれたら気持ちいいだろうよ。だがあいつの理論に則れば、あいつの歌ですらあいつのモノじゃないんだ。それなのに型になろうとしてるなんて馬鹿馬鹿しいよな?
最後の最期、あいつは私を型にした(プレイヤーネーム付きで!)。だけど私の歌は残りなんかしない。起源になんかならない。
壊れたものたちから世の中で一番美しい演奏が始まるとしても。私ってば壊れることすらできていないんだし。
カエルの伏線(何かあったら助けに行くぜ)も回収されなかったし、初夜にエドウィンが代役をやることになった原因のあの子も道を歩いているだけだったし、とにかくやりたいことをやってるって感じだ。
これはゲームじゃない……音楽の芸術だ。それこそ"総合芸術"とでもするのが正しいだろうね。
いいけどさ……書いといてほしかったね。どこかしらに。私はゲームをするために買ったんだから。
美術館にスマブラの起動されたSwitchが安置されてたらどうよ?それも含めて芸術ってか?近所のガキの溜まり場になったら?それも込みってどっかで示しとけよってならねえか?
型にはまるってことは……他人の自我を被るってことだ。エドウィンがドーンになりたがったようにね。
ここからは別の作品の話もします。主に……Lobotomy Corporationのを。
E.G.O.。L社の特異点技術により抽出された幻想体の自我。管理業務において、職員に装備させることで円滑な作業を見込める。鎮圧作業には必須といっていい。スーツと警棒じゃ、キュートちゃんだって危ないんじゃないか?
カルメンは自我からの解放を願って他人をねじれさせたりしている。夜明事務所のシンクレアが耐えたのは……だいぶすごいことだ。
一方で、アインは自我を利用して業務を有利に進めている。いくらなんでも黄昏はやり過ぎだと思うけど……強いからいっか。
どちらも、オズワルドに沿うっちゃそう。型にはめるってことは他人の自我を着せるってことだし、型にはまるってことは自分をなくすってことだから、自我をなくすことに繋がる。
二人と致命的に違うのは……型にはまった存在がつまらない彫像になるってことだね。身動きが取れなくなっちゃうってことだ。
ねじれにしろE.G.O.にしろ、自分の想いを昇華したものに成ったり身に纏ったり、いずれにしてもカビだらけの錆びた像になることはない。
呑まれない。像になったらね。
赤い靴を履いても足を斬られるまで踊ることはないし、人間のときのような音が出なくてもどうってことないし、鮮やかな色の桜だって褪せて見えるだろう。情動がないんだ。
その点で、オズワルドは愚かだ。他人を表現の道具くらいにしか思ってないんだろうか……?
型にはまり同じ動きを繰り返す像だけなら演奏は簡単だろうけど、そんなの私が雑に打ち込んだMIDIファイルの方が心を打つはず。混沌から始まる。
小さな差異から揺らぎが生まれ、毎ターン新しいページを手に入れてコストを0にすることができる。
停滞した時間の中に、自身の本はない。沈黙には対価が必要だし。
つまらなく、陳腐で、どこかで聞いたことのある、誰かの下位互換であることが明確な、そんな歌を叫ぶことでしか癒せないんだ。完全な初出はありえないわけだし。完全な重複もありえない以上。
コピー・ペーストしたファイルですら記憶されたアドレスが違うんだから……。それが作品の本質に関係ないにしろね?
何が言いたいかわからなくなってきちゃった。しょうがないよね、元のゲームも何が言いたいのかわからなかったんだもん……。
私は、ほら。私ってば空っぽ人間だからアルター・エゴを借りがちで、そうして演じた一面だって私の一部だから。
他人の自我を借りるのは悪いことじゃないけど、完全な模倣を自分のものとするのは間違っている。
だからといって、自分が完全なオリジナルだと思うのは間違っている。誰かに似ているのは間違いない。世界には三人くらいそっくりさんがいるって話もあるし。
その按配が肝要なのさ。本当の自分なんか存在しないし、絶対的ルーツも存在しない。ただそこにあるものだけを見つめろ!
ゲームとしては微妙。音楽作品としては悪くないんじゃないかと思う。
グラフィックはいい感じ。操作性はちょっと苦手。
シナリオはそんなに悪くないけど、言いたいことはわからない。
動線はそこそこ、もうちょっと案内が欲しいもんだね。
そんなところ。
君もこの音楽作品をプレイして刻まれた私の名を確認しよう!
私は……
もう聴かないし演らないから。