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あげパンがくれる幸せ
あげパン。それは今も昔も変わらず子どもたちを魅了し続ける給食界のアイドルである。
きな粉、シナモン、ココアなど様々なバリエーションがあるが、わたしの地域では砂糖ときな粉がまぶされているものが主流であった。
今も教師をしていてふつふつと感じるが、子どもたちからのその人気っぷりたるや、カレーライス、わかめご飯、ソフト麺と並んで給食四天王と称してもよい。
否、子どもだけではない。あげパンへの愛をそのままに、あるいは加速させながら大人になった元子どもたちも数多くいるだろう。
そしてわたしもその一人である。
記念すべき最初の投稿のテーマがあげパンというのもいささかどうかと思う。しかし何を隠そうわたしが中学校教師という職を選んだ理由の第7位あたりには、「給食のあげパンを大人になっても食べ続けたいから」というものがランクインしているのだから致し方ない。
(名誉のために書き記しておきたいが、第1位〜6位は至って真面目なものである)
あげパンのすごいところは、子どもたちの話題を長いスパンでかっさらっていくところである。
月末になると配布される献立表に「あげパン」を見つけようもんなら、「やったー!○○日あげパンやー!」「○○日はあげパンの日やー!」とまず1ヶ月前から大騒ぎ。
そしてあげパンを携えた週は、月曜日からなんだかそわそわそわそわ。
いよいよ明日にあげパンが迫った日には、「おれ絶対おかわりしよー」「おれのクラスは絶対に半分減らす女子が2人はいるから...」「いいなー。ぼくのクラスはあげパンやったら女子もおかわりしてくるしなー。」と、あげパン作戦会議が開かれる。
他のメニューで、ここまで子どもたちにチヤホヤされているものをわたしは見たことがない。
さて、給食の人気メニューには「おかわり」が付きものであるが、これには大きく分けて2種類がある。
1つは、おかわりをしたいメンバーが全員でじゃんけんをし、勝者数名が品物を勝ち取るパターンだ。
プリンやゼリーなど、個数が決まっているデザートものなんかは大抵このパターンで子どもたちを賑わせている。
そしてもう1つが、おかわりをしたいメンバー全員で仲良く等分するパターンである。
前者も給食の醍醐味であり、ゲーム性を備えた楽しいエンターテイメントにもなり得るのだが、わたしは自分のクラスにおいては、あげパンでは必ず後者を提案する。
前者は時たま、やれ誰々が後出しをしただの、誰々は唐揚げもおかわりしたのにゼリーのじゃんけんにも参加するのはずるいだの、トラブルにつながることもあるのだ。
それが後者においては、一人分の分け前は減るものの、全員が幸せな気持ちでおかわりしたあげパンを堪能することができる。
本当は一人勝ちして一本丸々あげパンを味わいたいと思っている者もいるはずなのだが、その気持ちをぐっと抑えて、あげパンにおいてはみんなこの提案を快く引き受けてくれる。
幸せはみんなで分かち合った方がもっと幸せになることを、子どもたちもみんなわかっているのだ。
そして「先生がいちばん切るのが上手だから」と、わたしが華麗にあげパンを親指と人差し指で切り分けていく様をわくわくしながら待っている。あの笑顔がたまらなく可愛い。
(言うまでもなくわたしもおかわり部隊に参戦しているのである)
時には2本のあげパンを10人で等分したこともあった。一人の分け前はほんの数口分なのだが、それでもみんな、その僅かなひとかけの幸せを握りしめてほくほくと席へ戻っていく。
子どもたちはみな少しでも大きな一切れが欲しいと、真ん中から順番に売り切れていくのが相場であるため、わたしは大抵最後に端っこの部分を持って自席へ戻る。
しかし実はわたしはこのあげパンの端っここそが大好きなのだ。理屈や真実はわからないが、真ん中と比べて端っこの方が、油や溶けた砂糖をほどよく吸い込み、噛んだときにじゅわじゅわとうまみと甘味が溢れ出てくるような気がするからだ。
それらを牛乳と一緒に噛みしめるあの喜びは他の何にも変え難い。
そして噛みしめているのはそれだけでなく、幸せそうな子どもたちの笑顔と、みんなで楽しく給食のひとときを共有している団らんの場なのである。
コロナ禍から丸4年が経過し、ようやく机を向き合わせて食べる給食が学校現場に戻りつつあるようだ。
もうすぐ新学期を迎える時期である。子どもたちがみな、幸せな給食のひとときを過ごせることを願う。