千字百夜の三題噺 第六夜

東京タワー•ブランド品•もみあげ

 逆さになって宙に浮いた東京タワーは私と彼女を乗せゆっくりと回転してた。
 60年以上ものあいだ、その電波塔としての役割を終えてなお東京という街を睥睨する赤い巨大建築。それが逆さになって夜の闇の中、宙に浮く姿はさながら深海へと潜航するマッコウクジラのようだった。
 紅く塗られた鉄の骨組みの間を駆けながら次の手を探す。私の手にはレイピアが握られている。追い縋る彼女の手にはハルバード。リーチの差というのはシンプルだが、それゆえに覆し難い。
 ここが夢の中であるということにはとうに気付いていたが、夢の中であろうと彼女にだけは負けるわけにはいかなかった。私たちは役者だ。現実の私たちはドラマのヒロインオーディションの真っ只中であった。彼女は子役上がりの秀才。一方で私は数年前にスカウトを受けてこの業界に入った新参者。ただ、運が良かったのかたまたま脚本家の琴線に触れたのかデビュー以来順調にキャリアを重ねてこれた。そして、今回引き当てた主役級の仕事。このまま自分のキャリアを勢い付かせるにはピッタリの役だった。
「あなたの演技って何を着たらいいか分からないから、とりあえずブランド品で身を固めてみました、みたいな感じなのよ。見てるだけで不快。貴方みたいなのの演技のどこがいいか分からない、プロデューサーに枕でしてるんじゃないの?」
 ハルバードを幾度も振りかざしながら彼女は私への不満を爆発させる。身体を左右に捩りながら辛うじて躱す。夢の中だからか長物を振り回しているにも関わらず、彼女の体力は衰えを知らない。
「あなたこそこれだけ長いこと業界にいて私みたいなぽっと出と正面から争う程度の人望しかないなんて、可哀想だね。この仕事向いてないんじゃないの?」
 長物が取り回しづらい鉄骨が集中したところへ相手を誘導すると、私も負けじとレイピアを突き込んでいく。向いてない、という言葉に反応して彼女は更に逆上する。
「ああああっ!」
 もはや言葉にならない憤りを全身に漲らせ、彼女は大上段にハルバードを振りかぶった。そう、振りかぶってしまったのだ。
 頭上の低い所を走っていた梁に穂先の斧頭をぶつけ、よろめいた。私はその隙を逃がさずレイピアの先端を前方に向け空を切る。
「ひっ!」
 顔から数ミリ横、もみあげに触れそうな位置で私の剣は静止していた。
「そろそろ目覚める時間だよ」
 そう言って私は剣を持ち替えると柄で彼女の額を小突いた。

 オーディション3日目の朝、食堂で挨拶を交わした大女優サマはどこか機嫌が悪そうだった。対する私は理由は分からないが清々しい気分だった。
 きっといい夢を見たんだと思う。
 

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