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Yogaとは何か

Yoga に出逢い 13 年。
出逢えたこと、続けられていることに感謝しかありません。
今世で Yoga に出逢えた人は、過去に徳な行いである"プンニャ"を積んだ人、宇宙からの祝福された人である、と言われています。

13 年前の私は、そんなこととは知らずに、身体の不調が原因で Yoga を始めました。
Yoga を続けるうちに、みるみる身体は良くなり、服用していた睡眠薬や血流を促進させる薬も直ぐに手放すことが出来たのです。

体調が良くなったけれど、これでまた今までの生活に戻ったら、同じことになるだろうと感じて、私はそれから Yoga の学びを増やし、実践を重ねて、今は指導者として小田原を中心に Yoga クラスを行っています。

私が Yoga を始めた頃より今は Yoga が多様化して、様々なスタイルのクラスがありますが、自分に合うスタイルを行いながらも、本来の Yoga の目的を知っておくことを私はお勧めしています。

Yoga とはサンスクリット語の"Yuj(ユジュ)"=繋ぐ、結びつけるが語源となっています。
Yuj(ユジュ)は、牛や馬などを車に繋ぐ軛(くびき)のことを指しています。

繋ぐ為には、2 つの対象物の存在が必要ですが、何と何を繋ぐものなのでしょうか?


心と身体を繋ぐため?
自分と他者との存在を繋ぐため?
自然(地球・宇宙)と繋がるため?

瞼を閉じて、自分に問いかけてみてください。
Yoga をしている時、何と繋がるように意識をしていますか?
答えは直ぐに出なくても、考えることや意識をすることが大切です。

私自身も、最初はそんなことを気にせずに、身体を良くしたいと思いながら、ただYoga のポーズをしながら身体が変わっていくことが楽しくて行っていました。

しかし、数年してから『Yoga って一体何なんだろう』という疑問が生まれだし、Yoga の哲学に触れ始めたのです。

学び出しても、「失ったバランスを取り戻す」とか、「自己を調和の取れた状態へ導く」などという言葉を目にすることはありました。確かにそうだと思うし、そうだと感じるけれど、なんか私の心にフィットする回答では無かったのです。

しかし学びを続けているうちに、私の心に刺さる言葉に出逢えました。『Yoga をして結びつくものは一つしかない。Yoga をして結びつくものは、欲か神のどちらかです』と、いう言葉でした。
マットの上で Yoga の実践をしているならば、手放すものもひとつだけ、"欲"なのです。
"欲"という言葉は、誤解を招いてしまいやすいですが、決して悪いエネルギーだけではありません。行動を起こすこと、やりたいと思える心も"欲"なのですから。

ただ、その"欲"をコントロール出来ている状態が理想なんです。
そして、その"欲"を満たすものは、物質的なものではなく、精神的なものでなければ満たされないということを知っておくことが大切です。

昔むかし、アパレル店員になりたかった時代がありました。私はアムラー世代だったので当時の安室ちゃんのようなミニスカ、厚底ブーツの格好を好きで着用していました。
元々170cm ある私は厚底を履かなくても十分でしたが、10cm のヒールから、15cmのヒールを履き、次第に物足りなくなって、20cm のヒールを最終的に購入して履きました。
でも、20cm のヒール履いて出歩いた時に、通り過ぎる人達に、いつもよりジロジロみられるんですよね。(当たり前ですよね)そんな時に我に返り『身長 190cm で街を歩いている』という事実に気付き、同時に『やり過ぎてる』という心の焦りも出てきました。

"欲"に結びつくと、事実や真実を自分の良い解釈として捉えてしまうので、あるがままの姿が分からなくなってしまうのです。

精神的にまだまだ未熟だった私のアムラー時代はまさにエゴの塊で生きていたなぁと恥ずかしく思います。

では、精神性を高めるにはどうしたら良いのでしょうか?


私が我に返った時のように、『今』に気付くことなんです。
『今』が在るということに気付けると、意識は外側である物質界から離れることができ、物質界の対極にある精神界に入れるのです。

精神的なストレス社会の中で生きている私達は、本来ならば精神的な安らぎを与えなければリラックスも出来ず、心も満たされません。
車のエネルギー源がガソリンであるように、私達のエネルギー源は呼吸という精神界のエネルギーなので、本来の呼吸を取り戻すことで精神的なストレスは手放せます。
なので、ストレスが溜まったから、沢山食べよう、飲もう、買い物しよう!などという行為は、物質的なストレスは解消されますが、精神的なストレスは解消されずに、積み重なってしまいます。

物質的な欲は、物質的なもの、精神的な欲は、精神的なもので補填しない限り安らげないのです。

Yoga のクラスに行くと、いつもより呼吸が身体に入り、巡るので、終わった後に『スッキリ』した感覚になりませんか?

『スッキリ』とした感覚があるってことは、見えないストレスが存在していたということなのです。

ストレスは目では見えません。
ですが、意識を今に集中することで『観えてくる』ものがあります。

Yoga は目を使わずに『観る』ことを大切にしていきます。
目の前に在るものではなくて、今に集中し、自分の中に在るものを観ていくようにするだけで、いつもの Yoga が更に充実していくはずです。

そして精神的な豊かさを感じとれるようになると、物質的なストレスからも脱却できるようになるので、必要以上に欲しなくなるのです。

この世界は全て『いただきもの』です。
振り返ると、生命をいただいてから、全て今あるものは、『いただきもの』ではありませんか?
必要以上に欲さなくても、タイミングで私達はいただけるようになっています。
この命を『神』からいただけた様に。

だから私達は"欲"と繋がるのではなく、"神"と繋がることを忘れてはなりません。
Yoga は、"神"の存在を思い出し、繋がっていることを実践する行いなのです。

マットの上では、与えられた身体と心を健やかにさせて、マットの外では、その身体と心を神に捧げるように過ごすことで、自分とその周りに調和が訪れます。

"神の領域"という言葉が流行りましたが、本来の神の領域は神聖な場所で神秘です。
なんのザワつきもない、凛として、澄んだ感覚を感じたことありませんか?
私達一人ひとりにも、その場所があるとされています。

Yoga では"ナマステ"と言って、最初と最後に胸の前で合掌をします。
ナマステの"ナマス"は"敬う"、"テ"は相手という意味があります。
合掌をした部分、胸と胸の間に神聖な場所があり、神と繋がれる場所であるので、手を合わせる場所もココなのです。

インドでは挨拶も同じように"ナマステ"と言って、胸の前で合掌しますが、目の前の相手を敬うのと同時に、相手の内側に存在する神聖な部分にも敬う気持ちを持って挨拶をします。

それぞれが敬う気持ちを持って関われば争い事も生まれません。
何かしらの欲が生まれると私達は、あるがままの存在を受け入れ難くしてしまいます。

Yoga は、あるがままを、あるがままとして捉えられるようにする為の行為です。

自分の"欲"を手放して自由な感覚で生きていきましょう!
その為に、先ずは Yoga をしてみてください。

その時は、神聖なる自分の胸の中心に手を合わせてから始めましょう!

अथ योगानुशासनम्॥१॥ atha yogānuśāsanam
アタ ヨーガ アヌシャーサナン

『さぁ、ヨーガをはじめましょう』
『ナマステ』

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