【note版】マリオン
ちょうど今日が、こちらのエッセイを転載させていただいている『STAY SALTY』最新号の発行日でした。以下は同誌に去年のいま頃載せていただいたものです。原文はこちらを参照ください(2021年12月5日執筆分)。
マリオンという名前に出逢ったのは、フランス人の留学生が最初。華奢な体に栗色のロングヘア、マニュキュアは淡いピンクで洋服はいつも優等生のお嬢様風。まるでフランス語かのようにソフトな口調で英語を話す様は日本人、いや、私が勝手に思い描く「いかにも」なフランス人の典型。
そういえば、渋谷と原宿にあるクレープ屋も「マリオンクレープ」だ。やはり、フランス発祥にちなんだ名前なようだ。
だから、イギリスの「マリオン」に出逢ったときは、ちょっとびっくりした。フランス系なのかな・・?って。こちらのマリオンは、小柄なのは同じだけど栗色はだいぶシルバーに近い毛色。
話し方は、年齢特有のちょっとしわがれた早口で、聴き取れないこともしばしば。
私の娘は見知らぬ人にも手を振ったりする、なかなかの人たらしだ。
コロナ禍以降、バス通学から完全なる徒歩通学に変えて以来、彼女はとある場所になると立ち止まり、通り沿いの家に向かってバイバイするのが日課になった。
こちらの住宅街では、窓が歩道に向いて家の中が丸見えでもあまり気にしない。むしろ、見せるためかきれいな花やキャンドル、置き物、カードなどを飾っている家が多い。
かなり暗くなって灯りをつけると、昼間以上に部屋の様子がよくわかるというのにカーテンは開いたまま。食卓で宿題をする子供たち、リビングで巨大なスクリーンを前にテレビを見てくつろぐ大人、はたまたおばあさんは編み物やパズルをしている。治安がいい、ここら辺りだけのことかもしれない。
娘が手を振るお宅には窓際に水槽が置いてあり、いつしか私たちは「水槽の家」と呼ぶようになっていた。
毎日行きに帰りにと、結構な頻度で顔を見合っていたけれど、初めて言葉を交わしたのはふた月ほどたってから。珍しく、マリオンが通り沿いの前庭で作業していたのだ。
奇しくも、翌日は娘の誕生日。
次の日、いつものように帰り道に前を通ると、マリオンがなにやら手にして家の中から出てきた。スーパーの袋から無造作に取り出したものは、青い恐竜のぬいぐるみと誕生日カード。
恐竜には値札がしっかりついたままだ。
Lots of LOVE
たくさんの、愛を頂戴した。
娘のためにわざわざ、急遽1日で用意してくれたのかと思ったら、ありがたいやら申し訳ないやら・・。
クリスマス休暇に入る直前、最終登校日には朝夕ともマリオンに会えなかった。
そのしばらく前に、お礼も兼ねてクリスマスカードとささやかなプレゼントを渡しに行ったときも留守だったので、玄関先に置いてきた。
このまま来年までしばらく会えないな、と思いながら帰宅した。
すると、あるはずのないノックが。普段、夕方以降わが家を訪れる人は郵便配達といえど、そうない。不審に思いながらもドアを開けると、そこにはダウンに身を包んで寒そうなマリオンが立っていた。
「メリークリスマス」
くしゃくしゃのラッピングペーパーに包まれたクリスマスプレゼントと、カードを持ってきてくれたのだった。私たちを帰り道で待ち受けるはずが、見過ごしてしまったようだ。
なかには孫が遊んでいたという、カードのゲームや絵本が入っていた。私の母も、孫のためにと昔私たちが読んだ絵本や服をとっておいてくれていたので、日本にいる母を思い出した。
年を越しても、こうしてマリオンとの「バイバイ交流」は続き、その後もやはり孫の絵本をもらったりした。
チューリップが見頃を迎えた春の日の午後、またマリオンが外に立っていた。
「私たち、けっこうもう見知った仲でしょう。ほら、だから、ちょっと言っておきたくて、ねぇ・・」
と、イギリス人らしく前置きが長い。にじり寄りながらつと顔を上げたマリオンは、どこが目なのかわからないほど顔半分が赤く腫れていた。
「息子がね、シンデシマッタノヨ」
そのあともなにやら、写真を見せるだのなんだの言いながら、落ちつきなく動いている。てっきり外まで息子さんの写真を持ってくるのかとボーッと突っ立ってたら、なかまで入れと言う。
玄関に入ってすぐ右が、「水槽の間」だ。正面の台所で、今朝届いたという手紙と、新聞記事のカラーコピーを見せられた。
私に読む時間を与えるためか、マリオンは娘に、今日の学校について質問していた。が、あいにくただでさえ英語の読解力に欠けるというのに、そのうえ手書きの手紙では、判読も理解もできるわけがない。
そもそもなぜわが子の死を手紙と新聞で知るのか、その状況からしてよくわからず、突然の展開に頭は混乱するばかりだ。
合間合間に「こんなことってある?なんて悲劇なの。そう思わない?」と、tragedyを繰り返すマリオンに、「イエス」と「アイムソーリー」を繰り返すしかない自分の英語力を呪った。
ここ最近は、頻繁に会うこともなかったようだ。「けれど、とってもラブリーで3人の子供がいるいい父親でね・・」と、この日はテレビをつけては消し、ウロウロして泣いてばかりいたので誰かにこの辛さを伝えたかったのだ、と言う。
「あなたはいくつ?こんな想いをしたことがある?」
と、早口でまくしたて、わが子へは「パパとママからいつもいっぱいハグしてもらってる?してるわよね。そうであると願うわ」と、自己完結している。
玄関まで送ってくれたときにようやくこれは、教えてくれたときに真っ先に抱擁してあげるべきだったのか、欧米式だとそれがよかっただろうか、でも、コロナだし・・
などと、さまざまな思いが駆けめぐり、ギュッと手を握った。
すると、どこにそんな力があるのかと思うほどの怪力で握り返してき、あぁ、やっぱり肩を抱くとか、よくテレビや映画で観るようなことをすべきだったのだ、と激しい後悔に襲われた。
「子供たちとの時間を大切にしてあげて」
そう最後に言い、マリオンは扉を閉めた。