SEKAI NO OWARIの音楽と歌詞に惹かれて(2015年前半)
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これ以上好きになると絶対にマズイぞ、、、
という気持ちでいた2015年前半
セカオワを好きになった理由、まず最初は音楽に惹かれたから。
RPGのような壮大なシンフォニーアレンジ、眠り姫のようなギターポップ、インスタントラジオのようなメロコアパンクから、死の魔法のような鬱々としたアレンジまで、同じバンドなの?と思うくらいに多種多様な曲。全然聴き飽きない。
もともと私にとって、音楽を聴くうえで歌詞はあまり重要じゃなく、J-POP的なメロディもそんなに響いてこなくて、だから洋楽のほうが好きだった(例外的に聴いてた邦楽もあったけど)。
むしろ全体のアレンジに惹かれるかどうかが大事で、そういう点でセカオワは聴けば聴くほど面白かったです。
だけど、さっき書いたこととは矛盾するけど、セカオワに惹かれた理由の二番目は歌詞、特に深瀬のつむぐ言葉の奥深さ。
失恋の心情だとか人生の応援歌とかベタな感動曲には興味なかったし、それまでに歌詞に胸を打たれて好きになったアーティストってほとんどいなかったのに、
環境問題、死生観、希死念慮、社会風刺、etc.
80~90年代だったらアングラでサブカル系のバンドが歌ってそうな歌詞なのに、
メジャーシーンのど真ん中に躍り出たバンドが歌ってることも痛快でした。
夢について歌う明るくポップな曲かと思って聞いてたら、ラストが「夢を見ながら僕は死んでいくんだね」(YUME)
って!
はじめて聞いたときは「えっ!?」って声が出ちゃった。
セカオワの歌詞に衝撃を受けたり感動したり絶句したりして、深瀬に心酔していきました(笑)
深瀬は神の言葉を聞くことのできる選ばれし預言者なんじゃないかと。
セカオワはRPGやDragon Nightの影響で一般的にはファンタジックな曲だと思われてきたけど、ファンタジーに見せかけて真理を表す隠喩がすごいです
(熱く語ると宗教じみてしまう😅)
あのDragon Nightの歌詞も戦争の原因について訴える深い内容なのに、「ドラゲナイ!」というミーム化されたため軽く扱われてしまったのが本当に残念でした。
Habitのヒットでセカオワの別の顔が知られてよかった。
深瀬の歌詞をベースにした世界観が幅広い多様な音楽性の曲たちを包括して、すべてがセカオワらしい曲になっている。
NakajinやSaoriちゃんの書く歌詞はそれぞれのらしさもありつつ、Saoriちゃんの詞は深瀬が書きそうな共通性もあります。
セカオワの好きな部分、
三番目はメンバーのひととなりと関係性は次の記事で↓